果たして本当に美談だったのか

主君の名誉のために自らの命を賭してまで、敵討ちを果たした赤穂浪士47人(一説には46人とする場合もあります)への同情と人気は、当時から凄まじいものでした。たちまちに歌舞伎や浄瑠璃、講談の演目として上演され、江戸庶民に親しまれる物語となったのです。こうして生まれたのが、私たちがよく知る『忠臣蔵』です。

歌川芳虎作「義士四拾七人」
歌川芳虎作「義士四拾七人」(画像=刀剣ワールド/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

四十七士による吉良邸の討ち入りは旧暦の12月14日に起きたことから、現代でも年末になると、『忠臣蔵』に関する演目でさまざまな興行が行われたり、NHKをはじめとしたテレビの時代劇で『忠臣蔵』が放映されたりと、日本人にとって時代を超えて愛されてきたコンテンツのひとつとなりました。