手書きで「コピペ」はハードルが高い

私の講義でレポート課題を出すときは、必ず手書きであることを条件としてきました。それは、インターネット上の情報を手軽にコピペ(コピー・アンド・ペースト)できないようにするためです。学生たちには「手書きで書き写そうとすれば、その間に良心の呵責に耐え続けねばなりません」とも、説明するようにしています。

そして合成AIが現れてからは、レポート課題を廃して筆記試験に限るようになりました。本来ならば、じっくり時間をかけて調べて考えさせるような課題のほうが、限られた時間の試験よりも教育効果が高いのですが、ワープロよりもさらに手軽な道具が現れた以上、背に腹は代えられません。

思考する時間が失われていることにも気づかない

酒井邦嘉『デジタル脳クライシス――AI 時代をどう生きるか』(朝日新聞出版)
酒井邦嘉『デジタル脳クライシス――AI 時代をどう生きるか』(朝日新聞出版)

振り返ってみれば、他人の手書きのノートを借りて自ら書き写すことなく、コピー機で手軽に、しかも大量に複写ができるようになったことが堕落の始まりでした。人が手軽さを求めるのはしかたなく、私の学生時代は、試験が近づくと、大学生協のコピー機の前に行列ができていたほどです。

今や電子ファイルをメールに添付してグループ送信できる時代です。そうやって思考する時間が失われていくのに、「失われた」ということ自体を意識することすら難しくなってしまいました。

道具に頼るあまり、人間の根幹である理解や記憶を犠牲にするとしたら、本末転倒ではないでしょうか。「デジタル機器とうまくつきあっていく」と言えるほど、これはなま易しい問題ではないと私は思うのです。

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