「温泉湯豆腐」の通販で活路を見いだす

会社の建て直しを決意した平川さんは、父親の代から取り組んでいた通信販売に着目した。利益率が高く、資金回収も早い。そして何よりも、自由に価格を決めることができる。スーパーなどの量販店への依存度を減らすために、卸中心の事業から消費者に直接届けるBtoC事業へと大きく舵を切った。

父が通販を始めたのは1989年。一番の売れ筋は「温泉湯豆腐」だった。

隣町にある温泉地、嬉野温泉の旅館で定番料理としてならぶ「温泉湯豆腐」を、取引先のスーパーからの依頼を受けて商品化したもの。温泉水で調理した豆腐が溶けて白濁し、ふわふわ、とろとろになる豆腐料理だ。当時、嬉野の豆腐店は旅館への卸で余力がなかったことから、武雄の父のもとに話がきたという。

湯豆腐
筆者撮影
嬉野温泉の定番料理「温泉湯豆腐」

当時、売り上げ全体の5%ほどだった通販を伸ばすために平川さんは、「ブランド」の浸透に力を入れた。「弱小メーカーが生き残るためには、ブランディングしかなかった」と平川さんは、語る。

まず全国の消費者に向けて豆腐を届けるため、「地域性」を打ち出すことにした。まずは屋号を「平川食品工業」から地名を入れた「佐嘉平川屋」に変えた。通販用のホームページを開設し、オンラインでも受注ができるようにした。

新商品とコストカットで黒字になったが…

リピーターを増やすために、購入してくれた人に送るチラシの中身も改めた。商品と価格のみが記載されていたものに、「温泉湯豆腐の歴史や作り方、食べ方、作り手の想い」を一枚の紙にまとめ、同封することにした。

コスト削減にも動く。1個400円で外注していた通販用「温泉湯豆腐セット」の箱詰めを内製化。送料の価格交渉により、粗利が3割から6割へと倍になった。さらに大手飲食チェーンに、「ごどうふ」が採用される幸運も重なった。

当時の温泉湯豆腐セット
写真提供=平川さん
当時の温泉湯豆腐セット

一歩つまずけば倒産するかもしれないという状況で、値下げ以外、思いつくことはなんでもやった。お歳暮シーズンは、従業員総出で、徹夜の箱詰め作業に追われた。入社して3年が経つころには、売り上げは2倍近くに増え、廃業寸前の会社は黒字転換を遂げた。

しかし、次なる試練が平川さんを待ち受けていた。

通販で「温泉湯豆腐」が売れ出すと、他の業者も真似を始めた。平川さんは差別化を図るために大豆をすべて佐賀県産に変えた。

すると2004年、県産大豆の不作による「大豆ショック」に見舞われる。ようやく会社の黒字化に成功した矢先のことだった。大豆の値段が上がり、豆腐を作れば作るほど赤字幅が広がった。

もともと3000円/30kgの大豆が2004年には2倍に。値上げ分で2000万円分の利益が飛んだ。数カ月での出来事だった。それでも「1年後にリカバリーすればいい」と考えていたが、2004年は大豆の収穫前、大型台風に2回連続で見舞われ2005年に使用する大豆はさらに高騰した。

この2年間で大豆の価格が跳ね上がり、もと値の4倍になった。

工場裏の大豆畑
写真提供=平川さん
工場裏の大豆畑