「選挙を手伝ってくれないかな?」
当時、私は二五歳で、石井さんは四八歳。悶々としていた二〇代の私からすれば、「つながるパワーで政治を変えたい!」というような青臭いことを、五十手前のいい年をした大人が本気で言っている。無名の立場で、国政にチャレンジしようとしている。単に「当選したい」という理由ではなく、「本当に社会を変えたい」と思い、しかもどこかの有力政党や大きな団体の力を借りず、「市民の力で変える」と真正面から語っている。
こんな人が世の中にいたのか!
この人はすごい。本当に正義が勝つ気でいるんだ。
そう思った私は感動して、「あなたのような方にこそ政治をやってほしい!」と手紙を書きました。
すると、思いがけず石井さんから返事が来たのです。そして喫茶店でいきなり会うことになって、さらにその場で「泉君、会ったばかりの人に言うのもなんだけど、選挙を手伝ってくれないかな?」と言うではありませんか。
「えっ、手伝ってって……お手伝いする人はいっぱいいるでしょう? あなたみたいな立派な方には」
「いや、たまに来るのはいるんだけど、ずっと一緒にいてくれる人はいないんだよ」
「誰もいないんですか?」
「誰もいないんだよ、ひとりなんだ。だから、誰かひとりいてほしいんだけど……君どうかな?」
「わかりました。私があなたを通します!」
初めて会って、ほんの一〇分ほどのことでした。
私はテレビ局の仕事を辞めて、高田馬場のアパートを引き払い、石井さんの事務所の近く、三軒茶屋に引っ越しました。私も石井さんもどうかしていますが、運命が動いた瞬間でした。
石井さんとふたりきりの選挙活動
こうして石井さんとの、選挙に向けた政治活動が始まりました。
朝五時に私が石井さんを起こしに行って、六時から八時過ぎぐらいまで駅頭で演説。石井さんがマイクでしゃべり、私がビラをまく、ふたりきりの活動です。
石井さんの演説は、決して下手なわけではないのですが、正直、朴訥な感じで、人が立ち止まって聞き惚れるというトーンではありませんでした。
「つながればパワー」と言って、「民衆とともに」と鼓舞しているわけですから、もうすこし情熱的な演説をしてほしい。そんな思いが溢れ、「もっと熱を持ってしゃべってくださいよ」と叱咤激励していました。
「石井さんは無名の新人なんですから」「当選する気あるんですか?」。私の辛口コメントに石井さんは「泉君、そんなきついこと言うなよ……」と困った顔をするばかりでした。
でも石井さんは、気持ちの奥には熱いものを持っている方です。彼の民衆への愛は、疑いようもありませんでした。