「未来を得るために、私たちは戦わねばなりません」
デスティニー・プランは政治的な対立の解消につながらないが、ガンダムSEEDシリーズの世界においては、遺伝子の解析によって社会的役割を決めるとすれば、遺伝子を調整されたコーディネーターのほうが優れた存在であると結論づけられる可能性がきわめて高い。つまり、デスティニー・プランによって、コーディネーターの支配が確立することになる。
続編にあたる『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』では、デスティニー・プランの一環として、コーディネーターよりもさらに高度に遺伝子に手が加えられたアコードが支配階級との位置付けで登場するから、遺伝子の調整のレベルに応じた社会的な階層が生まれることになる。
ラクスは、このデスティニー・プランに抗することを決め、「夢を見る。未来を望む。それはすべての命に与えられた、生きていくための力です。何を得ようと、夢と未来を封じられてしまったら、私たちはすでに滅びたものとしてただ存在することしかできません。すべての命は、未来を得るために戦うものです。戦ってよいものです。だから私たちは、戦わねばなりません」(第48話「新世界へ」)と語る。
人種差別的優越意識と戦争の結びつきを描いた革新性
これは、先に触れた『機動戦士ガンダムSEED』での「平和を叫びながら、その手に銃を取る。それもまた、悪しき選択なのかもしれません」よりも迷いのない言葉であり、戦う選択を強く支持している。劇中のこの言葉から解釈するならば、ラクスにはそれだけデスティニー・プランの持つディストピア性が受け入れられなかったということであろう。
また、明言はされていないが、コーディネーター至上主義にもナチュラル至上主義にも立たない立場を貫くならば、コーディネーターとナチュラルの差別を制度的に永続化してしまうデスティニー・プランに反対するのは必然的な選択となる。このように、人種差別的優越意識と戦いとのつながりを、ガンダムSEEDシリーズは描いている。