「人はすぐ慣れるんだ。戦い、殺し合いにも」
核攻撃とジェネシスの応酬が行われた後、アンドリュー・バルトフェルトが「戦場で初めて人を撃ったとき、オレは震えたよ、だが、すぐに慣れると言われて、確かにすぐ慣れたな」と語る。ラミアス艦長が「あれ(注:ジェネシス)のボタンも、核のボタンも、同じだと?」と問いかけ、バルトフェルトは「違うか? 人はすぐ慣れるんだ。戦い、殺し合いにも」と答える(第46話「怒りの日」)。『機動戦士ガンダムSEED』の終盤では、そうしたエスカレーションのダイナミクスが見事に描き出されている。
なお、劇中において、核攻撃とジェネシスの応酬は、第3勢力である主人公たちのアークエンジェル、エターナル、クサナギの3隻の戦闘艦から出撃したモビルスーツのジャスティス、フリーダム、ストライクルージュなどの攻撃で、核ミサイルとジェネシスの双方が破壊されたことで終わりを告げる。
彼らが出撃するとき、第3勢力の指導者であるラクス・クラインは「平和を叫びながら、その手に銃を取る。それもまた、悪しき選択なのかもしれません。でもどうか、今、この果てない争いの連鎖を断ち切る力を」(第47話「悪夢は再び」)とつぶやく。
争いの連鎖を断ち切るためのディストピア的構想
「争いの連鎖を断ち切る」には争いから中立的な立場にいなければならない。ガンダムSEEDシリーズの世界観においては、それはコーディネーター至上主義にもナチュラル至上主義にも立たないということになる。このことが、劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』冒頭から登場する中立的な武装組織である「世界平和監視機構コンパス」の設立につながっていくとみられる。
なお、第2作の『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』では、終盤にプラントのデュランダル議長からデスティニー・プランという構想が発表される。これは、一人ひとりの遺伝子を詳細に分析することで、それぞれに適合した社会的役割を割り当てようとするもので、そうすれば人間が過大な欲望を持つことがなくなり、戦争をなくすことができるとして打ち出された構想である。
デスティニー・プランは「個人の自由と夢がない」という意味でディストピア的な社会につながるが、この時点で全人類的な人気があったデュランダル議長の政治力を背景とし、さらに反対する勢力には月面の巨大レーザー砲のレクイエムと2基目のジェネシスであるネオ・ジェネシスで攻撃することで実現を図ったものであった。