先に一条天皇のキサキとなった定子が皇子を産んだ日に…
11月7日には定子と彰子の運命が交錯する日となりました。まず、明け方に定子が一条天皇の第一皇子、敦康親王を出産し、天皇は大喜びします。一方で天皇は、ほとんど同時、午前中のうちに彰子を女御にするよう命じ、蔵人頭の藤原行成が、そのことを道長に伝えました。彰子が妻と認められた日と、定子が待望の皇子を産んだ日が重なるとは、事実は小説より奇なりと言いますが、フィクションでも思いつかないようなことですよね。
道長の日記である『御堂関白記』によると、この日、道長は彰子に女御宣旨が下ったことを記していますが、敦康親王の誕生についてはまったく触れていません。
で、2人とも天皇の正式なキサキだったとはいえ、宮中で同時に生活していたわけではなく、顔を合わせたことはなかったと思います。定子の後見人である父・道隆が亡くなり、兄の伊周が失脚し、政敵がいない状態にあった道長は、強引に彰子を中宮として立后させようと画策します。
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