「子供につける名前」には時代ごとに特徴がある。どのように変化してきたのか。神戸大学経済経営研究所研究員の尾脇秀和さんが書いた、『女の氏名誕生 人名へのこだわりはいかにして生まれたのか』(ちくま新書)から一部を紹介する――。

昭和中期は「子」「美」が大流行

明治以降、名は安易に変更できない。そのため誕生時の名付けで確定する生涯唯一のものとして、名への執着・愛着が徐々に高まっていった。殊に戦後になると、親が子という「個人」に「個性」を与えるものとみなされて多様化が進んだ。

なお乳児死亡率は、1930年に1000人中124.1人であったのが、1955年頃から急速に改善し、1980年には7.5人にまで急速に低下していった。かつてのような、大人への成長を祈る名付けは、戦後にはもう想定されなくなっている。ここからは昭和20年以降、令和4年までの個人名について、明治安田生命の調査による「生まれ年別名前ベスト10」(同社HP)から概観してみよう。

なお昭和39年東京オリンピックの頃からテレビが一般に普及し、国民生活に欠かせない媒体へと成長する。そのため名付けにもテレビを介して接する著名人や芸能人、ドラマやアニメの登場人物の名が流行する傾向も顕著になるが、紙幅の都合上それにはあまり触れず、類型と傾向に絞って変遷の概要を把握したい。女性名は戦後も子の付く名が人気で、ランキングもそれらで占められている(図表1)。

しかし昭和32年の9位に明美が登場し、40年には1位となって状況は変わっていく。同年は真由美、由美、直美、由美子、久美子もランキングに入っており、41・42年は由美子、43から45年には直美が1位を占めている。

40年代後半から50年代には、美穂、美香、美紀など「美」が語頭に進出した名前がランキングに入っており、「美」の字の流行が一層顕著になる。ただし46~49、53年は陽子ようこ、51、52、54年には智子ともこが1位で、子の付く名も依然人気があり、女性名の符号的な役割が「子」から「美」に替わったわけではない。