確定死刑囚になった袴田巖さんがついに無罪
1966年6月に静岡県清水市の一家4人を殺害したとして死刑が確定した袴田巖さん(88歳)のいわゆる「袴田事件」に対する再審判決が9月26日に静岡地裁で言い渡された。
明日突然、死刑が執行されるかもしれない――そんな恐怖の日々を重ねてきた袴田巖さんを22年にわたって取材、計400時間もの記録映像をもとにしたドキュメンタリー映画『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』が10月19日に公開される。
本作の監督で、ドキュメンタリー監督・ジャーナリストの笠井千晶さんは、2002年、テレビ局の報道部にいたときから袴田巖さんの取材を始め、2014年には袴田巖さんの「釈放」の瞬間の表情を至近距離からとらえ、釈放後にはフリーランスとして袴田さん姉弟を取材し続けてきた人。
22年間も同じ対象を追い続け、たった1人で取材・撮影・編集全てを行ってきた笠井監督を突き動かしたものは何だったのか。
姉・秀子さんと静岡のテレビ局に勤めていた笠井監督の出会い
笠井千晶監督が袴田巖さんの取材を始めたのは、静岡放送の報道記者2年目のとき。それから現在までに袴田さんの事件に関するテレビ番組を4本制作してきたというが、東京拘置所に収監されていた巖さんを支える姉・秀子さんに出会ったことがきっかけだった。
「最初は報道記者としてご挨拶したのですが、その1カ月後くらいに、たまたま浜松支局に異動になり、それを浜松市で暮らす秀子さんにお伝えしたら、数日後に『私が持っているお部屋に入らない?』と電話でお誘いいただいて」
秀子さんと笠井監督は、取材対象者と報道記者というだけでなく、「家主と店子」の関係となる。家賃を支払いに行ったり、笠井監督の母親がお歳暮を持参したり、秀子さんが笠井監督の実家に遊びに来たりと、仕事とプライベートの両面から交流がスタートした。
映画では、巖さんが釈放された瞬間の表情や、釈放後最初の夜に姉弟が枕を並べる様子、拘禁反応の続く巖さんとそれを見守る秀子さんの姿などをありのままに映し出す。なぜここまで秀子さんからの信頼を得たのか。
実は、冤罪の可能性が出て以降、再審判決が言い渡された今でこそ多数のメディアが取材しているものの、2014年の釈放前は袴田事件を取材しているメディアはほとんどなく、「完全に忘れ去られた事件」だったと言う。そんな中、弁護士や支援者以外でたびたび訪れる人が珍しかったこと、笠井監督が女性だったこともあり、仲良くなっていったそうだ。