秀子さんは巖さんの現状も受け入れ、達観したように見えるが…
しかし、最初から超越していた、達観していたわけではないと笠井監督は言う。
「秀子さんは強い人ですが、しんどかった時期はあったのだと思います。これは秀子さんからお聞きした話ですが、食生活などのせいで体がおかしくなった時期もありました。普通ではないストレスを抱え続けていますから、心身ともに傷つき続け、それを自分で飲み込んで、弱音を吐ける先もなかった、と。
また、支援の輪が広がっていない頃は、夜も眠れず、お酒に頼ってしまった時期があったそうで。眠れないから飲んでは寝て、それが毎日になった頃、お肌もボロボロで荒壁みたいになったとおっしゃっていました。そんなとき、支援者の方が現れ始めて、自分が酔っ払って電話に出てしまったことを猛省し、以降一切お酒を断ったことがあったと、話してくれました」
「もしダメだったらどうしよう」と考えても意味のない心配はしない
笠井監督自身、フリーランスになってからはゴールも定めず、全て持ち出しで、作品が発表できるかわからない状態のまま取材を続けてきた。そんな笠井監督に「働く女性の草分け」的立場から秀子さんは共感してくれたり、大変なときには励まし、背中を押してくれたりすることもあった。
監督が秀子さんにエンパワーメントされたのは、言葉ばかりではない。「もしダメだったらどうしよう」など、考えても仕方のない心配はしない秀子さんの姿勢は、笠井監督の心の持ち方の指針となり、心が揺らぎそうな場合も「秀子さんを思えば、まだまだできると思えた」と言う。
映画では終始強く明るい秀子さんだが、巖さんのされた仕打ちを思えば、警察や検察などへの恨みや怒りを抱くのが自然だろう。しかし、秀子さんは恨み言などを一切口にしないのだと言う。