道行く男を屋敷に招き入れ性交したという噂
けれども、その後も千姫は流産を繰り返し、3年後には夫の忠刻が31歳で早世してしまった。本多家は忠刻の弟・政朝が嗣ぐことになり、千姫は姫路城を去って江戸へ戻った。
その後は吉田御殿に住み、道行く男を屋敷に招き入れ、性交のあと男を殺して井戸に投げ捨てたという伝承が生まれるが、もちろんそれは後世のつくり話。千姫は江戸城内の竹橋御殿に住んでおり、一般人が通行できるところではない。
史実の千姫は、剃髪して天樹院と称し、一人娘の勝姫を立派に育て上げ、寛文6年(1666)に70歳で死去した。
ちなみに姫路城主は本多氏のあと、松平氏、榊原氏とたびたび変わり、最後は酒井氏が明治までの120年以上、姫路城を支配し続けたのである。