勉強しかしていない凡人

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岩手県立花巻北高校2年生の佐々木姫佳さん。昨年11月の取材時は、まだ具体的にやってみたい仕事の名前は挙がらなかった。取材から2カ月後、「その後、具体的に『将来就こうと思う職業』は浮かびましたか」とメールを送ると、佐々木さんは「すみません。明確に答えることができません」と前置きし、こう返事をくれた。

「職種を今ひとつに決めたとして、ほんとうにその職業を続けていけるのか不安だし、一生その仕事に従事していくってまだ想像できなくて。甘いのはわかってるんですが」

佐々木さんは社会に出るまでの間に、どんなことを手に入れる必要があると思いますか。

「商業高校とかと比べて、普通校ってあまり資格って取れないんですよ。だから社会に出たときに、何もしてない、勉強しかしていない凡人でしかなくて……。それが負い目になるのが嫌なので、高校のうちか大学のうちに、資格はいっぱい取りたいと思ってます。国際的に働ける人になりたいんで、英検だけじゃなくてTOEICとかも取りたいなと思ってるし。やっぱり経済だったら簿記とかも取っておいたほうがいいのかなって思うし。あと、大学に行ったら、やっぱり留学したいと思います。留学が盛んな学校は国立よりも私立のほうが多いんですけど、費用とか考えたら国立かなとか思っています」

佐々木さんのお父さんは明治乳業の系列会社で働く。お母さんは元音楽教師で現在は主婦。中2の弟がひとりいる。取材時には具体的な大学名がまだ浮かんでいなかった佐々木さんだが、取材後のメールで横浜国立大学経営学部の名が届いている。

「東北は絶対出たいんですよ。中学のときに、漠然と『東北を出る』って自分の頭にあって。だから大学とか考えるときも、東北の大学はぜんぜん頭にないですし、就職先も首都圏のほうに行きたい。やっぱり中心地にいた方が最先端、最新の情報とかに触れられるし。やっぱり東北にいると狭いっていうか、広がらないかな、と思います。別に東北が嫌いとかというんじゃないんです。帰って来るところとしてはすごくいいと思うんです」

先ほど「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」で出合った3年生の「経営を学びたい」ということばが、佐々木さんに大事な影響を与えたことを書いた。合州国での3週間、ほかにはどんな影響があったのだろうか。

「なんかすごい、視野が広がった。実際あっちに行って帰って来たときに、すごいプログラムに行ってきたんだって自分の自信にもなって。この体験自体が自分の中で、すごくおっきい可能性になっていて。アメリカに3週間もいて、いろんな人の話も聞いて、日本にいた時にはやれなかったことでも、この300人ならできるとか思ったし」

佐々木さんにとって、合州国での体験は「進路選択のきっかけ」になっただけではない。

「内陸に住んでると、被災地の高校生と接する機会もぜんぜんなかったんですけど、同じ年代の子たちに出合って——チームの中にも何人かいたんですけど、家が津波で全部なくなっちゃってという人がいて。そういうことって内陸でふだん生活していると聞けないし。チームの中で『日本に帰ったら何がしたい』っていう話をしてたんですけど、そのときにひとりの子が、『日本に帰ったら新しいうちができてるから、それがすごい楽しみだ』って言ってて。わたしにはない感情をこの子は持ってるんだなとか、この子にはどんな辛いことがあったんだろうとか考えて。そういうことって3週間一緒にいないとわかんない。内陸だと、あんまり直接的な被害を受けてないから、周りにもそういう友だちとか少なくて。あの3週間は、内陸の高校生にはすごいプラスだったと思います。2週間じゃ足りなかったと思います」

300人は多すぎた——ということはありませんでしたか。

「もし10人だったら、3週間の中でもう慣れちゃって、ぜんぶわかった気になって、飽きてくるかもしれない。300人いるからこそ、今もずっとつながってるというか、つながりが消えにくいというか。行く前、みんな2年生だと思い込んでて、上の学年、先輩がいるって思ってなくて。1年生もいて、それもすごく良かったです。他学年とも話ができて、『みんなちゃんと考えてるんだな』とわかって。300人いたからこそ、いろんな経験してる人がいるわけで。そのことを知ることができて、ほんとうに良かったって思います。被災地のこととか、ぜんぜんわからなかったから」

現地ではいろんな仕事をしている大人に会って話を聞いていますね。その感想も聞かせてください。

「大人も意外とちゃんと考えてるんだなと思いました。なんでこんなに仕事に対してじょうずに語れるんだろう……と思って」

今まで、そうやって話してくれる大人はいませんでしたか。

「聞いても、あんまり話してくれないんじゃないかと思ってました。でも、アメリカから帰って来て、大人に質問すればちゃんとした答えが返ってくるんだと思うようになりました。大人ってクールな感じで、なんかスッと仕事してるじゃないですか。だから、あんなに自分の仕事に対して話せるのもビックリしたし。自分もそうやって話せるような人間になれたらいいなと思います。働くようになって、自分の仕事を、それこそ高校生に話すとか」

「それこそ高校生に話すとか」は、「TOMODACHI~」参加者のあいだで少しかたちを変えて、帰国後に盛岡で現実の行動として現れる。最後に登場するのは、そのきっかけとなった高校生だ。「TOMODACHI~」からの帰国後、彼が父親と話したことがきっかけになって、盛岡では新しい動きが始まっている。