「平成が戦争のない時代として終わった」

平和については、上皇陛下が「天皇」として最後に迎えられたお誕生日に際して、このように述べておられた。

「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と。

このおことばにハッとした人もいるのではないだろうか。なぜなら、平成時代に戦争が起きる危険性をリアルに感じ取っていた人など、ほとんどいなかったと思われるからだ。

しかし、上皇陛下は本気で戦争の可能性を警戒しておられた。だからこそ、あの場面で「心から安堵しています」というおことばが、正直に吐露されたのだろう。平和への願いは本気なのだ。

改めて振り返ってみると近代以来、各天皇の時代でまったく戦争がなかったのは、平成が初めてだった。明治時代には日清・日露戦争があり、大正時代には第一次世界大戦への参戦があり、昭和時代には満州事変、シナ事変、大東亜戦争があった。

どの時代も前向きに戦争を望まれた天皇はおられない。しかし結局、戦争を避けることはできなかった。

その無念さを上皇陛下は昭和天皇と身近に接する中で、深く心に刻んでおられたのだろう。それが、天皇として最後のお誕生日に際しての記者会見でのご発言につながったのではないだろうか。

「国民の犠牲を思うとき…」

昭和天皇が戦争に対して、痛烈な悔恨の気持ちを抱いて戦後の日々をすごしてこられたことは、さまざまな事実から察することができる。

たとえば、昭和61年(1986年)4月29日に国技館で開催された政府主催の天皇陛下御在位60年記念式典でのお言葉の際、冒頭近くで次のように述べられた。

「今ここに昭和の60年の歳月を顧み、先の戦争による国民の犠牲を思うとき、なお胸が痛み、改めて平和の尊さを痛感します」

この頃、国内は昭和天皇が60年もの長きにわたり天皇として在位され続けたことへの祝意が、盛り上がっていた。すでに民間の各種の祝賀行事も行われていた。そのようなお祝いムードのピークに位置したのが、この時の政府式典だったはずだ。当時は中曽根康弘氏が首相だった。

ところが、昭和天皇ご自身のお言葉はむしろ沈痛の趣きをたたえていた。「昭和の60年の歳月」が昭和天皇ご自身にとっては「先の戦争による国民の犠牲」とほぼ等式で結ばれていた。

それは昭和20年(1945年)8月14日に下され、翌日に昭和天皇ご自身のお声つまり玉音放送として全国民に伝えられた「終戦の詔書」の一節を髣髴ほうふつとさせた。