「死後の世界」はあなたが決める

私の高校時代の同級生に、中田こうさんというイスラム学者がいるのですが、彼は死後の世界を信じているから、世俗をまったく超越していて、生への執着がまるでない。

和田秀樹『どうせ死ぬんだから』(SBクリエイティブ)
和田秀樹『どうせ死ぬんだから』(SBクリエイティブ)

だから医者にかかったこともないし、毎日イスラム教の戒律に従った生活をしています。

私は信心深い人間ではないし、死後の世界も信じていませんから、よくわかりませんが、そのほうが生きるのは楽かもしれません。

ほかにも、死んだらあの世で愛しい人に再会できるとか、大好きな家族に会えるのが楽しみだとか言って、死ぬこと自体をそんなに恐れていない知り合いもいます。そう思えたら、死ぬのも楽だろうなあと思います。

「人間、死んでから」と言いましたが、死んだ後に自分自身がどうなるのか、どこへ行くのかという意味での死後と、死んだ後に自分がまわりからどう思われるかという意味での死後、そのどちらを意識するかは、人それぞれだと思います。

ただ不毛なのは、死ぬことをあまりにも不安に思うことです。

適度な死の意識のしかた

死を意識したほうが、「生」を楽しもうという気にはなれます。しかし、死をあまりにも意識しすぎると、不安が募ってきて、「生」の邪魔になることがあります。

たとえば、高齢になって再婚したいと思っていても、子どもたちに反対されてしかたなくあきらめるというのは、死に際を彼らに看取ってもらいたいと思い詰めるからでしょう。

ただ私は、適度な死の意識のしかたがあると思っています。

それは、自分の心と体の声をしっかり聞いて、10年後に生きていられるかどうかわからないから、やっぱり旅行に行こうとか、これだけはやっておこうとか、そういうふうに考えると、死ぬまでの生活をより濃厚に楽しめる。

バスで旅をする年配の女性二人
写真=iStock.com/kumikomini
※写真はイメージです

「極上の死に方」とは、つまるところ、死ぬ間際まで「極上の生き方」を追い求めるということ。人生の幕が下りるまで、自分らしく生きぬくということです。死ぬ瞬間までは生きているのですから。

死はいつ訪れるかわかりません。長年、多くの高齢者を見てきた経験から言うと、生きている間に思いっきり楽しんで、「生」を充実させておいたほうがいい。それだけは間違いはありません。