7種目で優勝したローマ皇帝

オリンピアの神域と競技会は、マケドニアのアレクサンドロス大王のインドなどへの10年に及ぶ大遠征によって事実上始まったヘレニズム時代の諸王やローマ皇帝を引きつけた。全ギリシャを挙げた祭典としてのオリンピックは、広大なヘレニズム世界に拡散していった。

古代オリンピックに、ローマは途中からギリシャの都市国家に混ざって参加を認められていた。その後、ギリシャ全土を征服しその属州としたが、征服後もオリンピア祭は続けられた。特に帝政時代にはローマ皇帝はこの栄光に満ちたギリシャ人の競技祭に敬意を表し、物質的援助を惜しまなかった。

暴君として知られる皇帝ネロは自分の歌を披露するため音楽競技を追加。ネロは7種目で優勝したが、その歌は劣悪で聞くに堪えないものだったという。その後、ネロの優勝はエリスの公式記録から削除された。

平和の祭典が終わったワケ

ローマ時代のオリンピックでは選手のプロ化が進み、優勝選手が金銭的報酬を受け取ることも常態化した。優勝者の祖国が支払う報奨金は跳ね上がり、報奨欲しさに不正を働く者、審判を買収する者が現れ、オリンピア大祭は腐敗し始めた。

村上直久『国際情勢でたどるオリンピック史』(平凡社新書)
村上直久『国際情勢でたどるオリンピック史』(平凡社新書)

不正を行った者には以後のオリンピア大祭から追放されるとともに罰金が科せられた。これを資金源としてオリンピアに「ザーネス」と呼ばれる、不正を象徴する見せしめのゼウス像が建てられたが、記録によれば最終的に11体までつくられたという。

古代オリンピックが消滅した直接の原因はローマ帝国によるキリスト教の国教化である。ローマ帝国は313年にキリスト教を公認し、392年に国教とした。これを受けて、テオドシウス帝は392年に異教祭祀全面禁止令を発し、異教徒のゼウス神崇拝と結びついたオリンピア大祭は禁止され、393年に開催された第293回が最後の古代オリンピックとなった。

古代オリンピック消滅の背景には、ゲルマン人やヴァンダル人など異民族の侵入により、「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」が崩れ、ローマ帝国はもはやオリンピア大祭の開催を支援しきれなくなったという事情もあった。すなわち、古代オリンピックの消滅は古代地中海世界の枠組みの終焉を意味する。

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