古代オリンピックと近代オリンピックの共通点はなにか。元時事通信記者の村上直久さんは「神に捧げる競技会として紀元前776年に第1回大会が開かれた。ローマ時代になっても大会は続いたが、次第に現在の近代オリンピックと似たような問題を抱えていった」という――。(第1回)

※本稿は、村上直久『国際情勢でたどるオリンピック史』(平凡社新書)の一部を再編集したものです。

古代オリンピックのヴィンテージ彫刻
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古代オリンピックと近代オリンピックの違い

古代オリンピックは4年に一度、ペロポネソス半島北西部エリス地方のオリンピアで開かれた。当時では世界最大規模の競技会であり、祭典であり、途切れることなく約1200年間続いた。

競技とそれに先立つオリンピアへの選手らの移動の間、最大3カ月間はギリシャ全土で休戦となった。100年余りの近代オリンピックで、両次の大戦中、中止されたこととは好対照である。

古代オリンピックはオリンピア大祭とも呼ばれ、全能の神、ゼウスに捧げられていた。その起源には諸説あり、ギリシャ神話によると、約束を破ったアウゲイアース王を攻めたヘラクレスが勝利後、ゼウスに捧げる神殿を建て、競技会を開いたという説や、ホメロスによれば、トロイア戦争で亡くなったパトロクロスの死を悼むためアキレウスが競技会を行ったという説などがある。

オリンピア大祭のほかに古代ギリシャでは3つほど同様の競技会があった。その中で最もよく知られているのが3年ごとに隣保同盟がデルファイで開催したピュティア祭で、これはアポロンに捧げられた。残る2つのイストミア祭とネメア祭はオリンピックとピュティア祭と重ならないように開かれた。

古代ギリシャは日本の神道と同様に多神教であり、神に捧げる競技会は、日本で言えば神社での奉納相撲と似た類のものだと考えられよう。

「運動競技」以外の競技

古代オリンピックは近代オリンピックとは異なり女人禁制であった。これはゼウスが男神であったことや、奉納競技において競技者が裸体であったことなどが関係しているとみられる。さらに、古代オリンピックは運動競技だけでなく、詩の朗読や弁論など文芸的な側面もあったことが知られている。

古代オリンピックが約12世紀も続いた後、その歴史を閉じたのは、あとで詳述するが宗教が関係している。オリンピックの開催地であるオリンピアという地名の語源はこの聖地の主祭神ゼウス・オリュンポスに由来する。

祭典の中心は当初、ゼウス神に捧げる宗教儀礼で運動競技は付随的なものだったが、時がたつにつれて運動競技が祭典の実質的な目玉となった。

オリンピックは紀元前776年の第1回大会から紀元後393年の第293回大会まで連綿と続いた。

4大競技祭の中でオリンピックが最も栄え、世界的な競技祭に成長していったのはなぜだろうか。