大会3日目は「野外BBQ」

競技場は4万人を超える観衆を収容できた。大会初日は、選手団到着の後、資格審査と選手宣誓が行われた。宣誓はゼウス神像の前で行われ、事前トレーニングをきちんとやって来たことも強調された。

午後には少年の部の各種競技と触れ役及びラッパ手のコンテストがあった。スピーカーもマイクロフォンもない時代、競技者の出身国や氏名を大きな声で告げる触れ役は重要な存在だった。

競馬競技は4頭立て・2頭立て。4頭立て競走は、古代オリンピックの華と呼ばれ、米映画「ベン・ハー」に再現されているように迫力とスリルに満ちたものだった。五種競技は、徒競走、円盤投げ、幅跳び、槍投げ、レスリング5種目だった。

ローマ二輪馬車競争
写真=iStock.com/Tina_Rencelj
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幅跳びの詳細については諸説あり、立ち幅跳びの5段跳びとの見方もある。勝敗は得点制ではなかったようで、どのように優勝者を決めていたのかは定かではない。

大会3日目にはゼウス大犠牲式がとり行われた。ゼウス神官団や選手、コーチ、審判、各ポリスからの祭礼使節が行列を組み、ゼウスに捧げる100頭の雄牛を連れて、金銀の什器を持ち、ゼウス神殿の周りを練り歩き、祭壇に達すると、牛を犠牲に捧げる。

100頭の牛は大腿部が煙になるまで焼かれ、残った部分は参加者にふるまわれる。古代版の巨大な野外バーベキュー・パーティーとも言えよう。焼けた牛の匂いが辺りに充満したに違いない。

3位も2位も敗者と同じ

大会4日目は徒競走と格闘技が行われた。徒競走はコースの端から端まで駆け抜けるスタディオン走のほかに、コースを1往復する中距離走、12往復する長距離走が中心だった。

格闘技はレスリングとボクシングのほかにパンクラティオンがあった。これはさしずめ現代のプロレスに相当するだろう。噛みついたり、目つぶしをすることは禁止されているが、キック、パンチ、投げ技、締め技などは許されていた。

このほかに重装歩兵の兜と脛当てを身につけ、丸盾を持って1往復する武装競走もあった。これは競技の中で唯一同時代の軍事技術と密接に関連したものだった。兜は1.5キロ、脛当ては一組で1.2キロ、丸盾8キロの重さで、炎天下では相当な負担であったに違いない。

最終日の5日目は表彰式が行われた後、祝宴が催された。表彰されたのは勝者のみであり、2等、3等は敗者と見なされた。勝者にはオリーブの冠が授与されただけであり、金メダルなどの金目のものは与えられなかった。

表彰式の後、優勝者は迎賓館で公式の晩餐会に招かれた。そのあとは家族や友人と合流して祝宴が延々と続いた。5日間の祭典が終わった翌日、参加者はそれぞれ帰路に就いた。優勝者は帰国後、多額の報奨金がもらえることや、オリンピアに自分の像を建てるための援助が集まることを期待しながら。