ハチャメチャを愛してその中に飛び込めるか

どうして誰かもっと早く教えてくれなかったの、と思った。これまでのぼくの問題解決へのアプローチを、愚かだなあ、と誰かが見ていたかもしれない。こう囁き合っていたはずだ。

「見たか? ポールのやつ、やり方わかんないんだぜ」

月曜の朝、ぼくは社員をおもむろに見回した。「問題は常にある」ということを、彼らはすでに知っていた。知らないのはぼくだけだった。

読者の皆さんにはぼくと同じ過ちを繰り返してほしくない。最初に知っておこう。

「問題は常にある」

問題があるからこそ、そこにチャンスがある。

問題はチャンスが姿を変えているだけなのだ。

同じく、ハチャメチャな状況というのもチャンスの山だ。好んでハチャメチャの中に首を突っ込もう。ハチャメチャを愛そう。逃げず、自ら愛してその中に飛び込むことこそがハチャメチャを解決する唯一の方法なのだから。

人は、小さな問題ですら、できれば逃げたいもの。まして問題てんこ盛りの状況など、とんでもないと考えるのが普通だ。生活はきちんとしていて、予測可能であってほしい。

そう考えるのが人情というもの。ビジネスパーソンも例外ではない。秩序こそが成功の道、そう習った。折り目正しさと正確さ。家事や簿記ならそれもいいだろう。

精神分析家が患者「を」世界「に」適合させるのをやめたワケ

創業したばかりのビジネスはいかなる予想、予測、パターンも当てはまらない。粗削りで、驚きの連続、予想もしない結末ばかりだ。しかしよく考えてみればこの世の中すべて同じで、ビジネスの世界だけが例外ではない。

さる著名なユング派精神分析家が、自らの豊富な臨床経験を振り返っていわく。

患者はみな、問題のオンパレードでやってくる。友人と思っていた人が実は友人じゃなかった。仕事がつまらない。都会の生活は難しい。健康状態が悪い。毎日がつらい。

はじめの頃、分析家は自分の仕事を「患者が世界に適合するように手助けすること」と考えていた。経験を経て、分析家は患者のほうが正しいことに気づいた。世界はそんなに良いものではない。

結婚は当てにならない。子どもたちは不良だ。学校はまるで刑務所だ。大気は汚染されている。街行く人は意地悪だ。これらすべてを要約すると。

人生は、難しい。

この「発見」後、分析家は患者の扱い方を変えた。かつてのように、患者「を」世界「に」適合させることをやめた。代わりに患者が自分の感受性の豊かさに気づくよう手助けし、世界ではなく患者たちのほうがまともなのだということを理解してもらった。

自分たちの環境への感受性を鈍らせるのではなく、逆に研ぎ澄ませば澄ますほど、犠牲者としてただ嘆いていたときより問題への対処がうまくできるようになる。

分析家は確信した。答えは、世界に対して受け身で適合するのではなく、チャレンジしていくことだったのだ。

ビジネスが問題やとんでもない混乱にぶつかったときこそ、真正面から向き合おう。ごたごたの中に、キラリと光る宝を発見できるはずだ。混乱も、逃げず向き合えば広がりが止まるし、最後は友人のように味方になってくれる。

光が差す出入り口に向かって立っているビジネスマンの後ろ姿
写真=iStock.com/Yuri_Arcurs
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