長く友好関係を築いてきた研究者
パンディットは、25年間近く、たいていは遠距離で島民とかかわりながら、誰よりもこの隠遁的なコミュニティと友好関係を築いてきた。
彼と研究仲間は、弓矢の攻撃や卑猥なジェスチャーなど、敵意で迎えられることもあったが(最初の訪問時に同行した警察官の何人かが、現在ポート・ブレアの博物館に展示されているセンチネル族のさまざまな品物を押収したことが原因だったのかもしれない)、穏やかな遭遇もあった。
なかでも、1991年に数人の島民が訪問者の小型ボートに平和的に近づいたことは注目に値する。
パンディットはまた、長年にわたって、自分が持っていった贈り物に対する島民のさまざまな反応を書き留めた。島では手に入らないココナッツはもちろん、金属製の深鍋やフライパンは特に歓迎された。一方、1974年の訪問で彼が持って行ったブタと人形は、ただちに槍で突かれて砂に埋められた。このとき同行した『ナショナル ジオグラフィック』のドキュメンタリー映画の監督は、腿に弓矢の攻撃を受けている。
日常的な問題に関することはほとんど何もわかっていない
北センチネル島に関する私たちのこういった知識はごく限られたもので、それ以外はもっぱら推測に基づいている。
遠くから撮った写真と、人類学者が推定した島の調達可能な食料から、どうやら人口は15人から500人の範囲で、下限に近いそうだ。世帯構造、男女関係、力関係といった日常的な問題に関することはほとんど何もわかっていない。
興味深いもう1つの謎は、人間がこの島に渡った時期だ。しばしば推測されているように、島民は5万5000年以上前から孤立した生活を送っていたのだろうか。それとももっと時代の下った、海水位が低かった頃に陸ランド・ブリッジ橋を通って島に渡ったのだろうか。
衛星画像を見ると、この島が森に覆われており、砂浜とその外側のサンゴ礁に囲まれ、南東端に小島があるのがわかる。しかし、それ以上のことはほとんどわからない。
(逆にセンチネル族の側から見て、訪問者の慣習がいかに謎めいているかを想像してほしい。たとえば、1981年にプリムローズ号の乗組員を救出する際に使用されたヘリコプターの仕組みを理解するのはとても無理だろう)