被害が限定的な「戦術核」でも、影響は計り知れない

――ロシアの攻撃でウクライナ側に万単位の死者が出ている状況でも、核となるとハードルの高さは段違いなのですね。

ロシア国旗と太陽の背景にミサイルのシルエット
写真=iStock.com/vadimrysev
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【小泉】今回のウクライナ戦争で確認できている死者の数は1万数千人程度で、ロシア軍の占領地域に埋葬されていて確認ができない死者を含めてもその数倍とみられています。

もちろんそれでも大変な人数ですが、核で奪うことのできる命の数は、一発で10万人、20万人という規模に及びますから、文字通り桁違いの破壊と犠牲を生じさせることになります。

冷戦時代には都市が一つ、二つ住民ごと丸ごと吹っ飛ぶような核をヨーロッパで何百発も使う想定がなされていました。しかしそれはあくまでも軍事の理論であり、さらに時代の進んだ21世紀の現在、核使用は政治的に受け入れられるものではなくなっています。2017年の北朝鮮のミサイル危機の際に米軍は先制攻撃オプションをトランプ政権に提案したそうですが、あのスティーブ・バノンですら突き返したといいますから、やはり相当なハードルの高さがある。

また、ひとたび核を使った場合、それが戦場に限定されたもの、つまり戦術核と言われるものだったとしても、実際にはそれだけでは収まらない。必ず戦略的な意味を帯びて、戦場の外側にまで影響してきます。

小泉悠氏
撮影=プレジデントオンライン編集部
「この戦争が始まってからトルストイの『戦争と平和』を読み返したんです。だいぶ昔の小説ですが、思ったよりも今に通じる話が多くて驚きました」

なぜ「使えない核の脅し」が最適戦略になるのか

【小泉】仮にロシアがウクライナに核を使った場合、アメリカは戦術核を使うかもしれない。今度はロシアが米軍に核を使う可能性も出てくる。となるとその次は……と、必ずエスカレーションを呼ぶことになります。

それが全面核戦争にまで発展するかもしれない。これをみんな恐れているからこそ、一方ではロシアの核の脅しは最適戦略にもなるのです。

――エスカレーションを恐れるからこそアメリカをはじめとする西側諸国はおいそれと介入できず、戦争が長引いてしまっている面もあります。

【小泉】核兵器の登場からまもなく指摘されることになった「安定・不安定パラドックス」の問題ですね。

核が存在するがゆえに、大国同士がぶつかり合うような第三次世界大戦の勃発は抑止できる一方、核を持つ国が核を持たない国を相手として起こす局地戦争や地域戦争は防ぐことができず、不安定化するというパラドックスです。