公益のために尽くした栄一だからこそ、新札にふさわしい
栄一にとって「人材」とは、「自分の代わりに事業を続けてくれる人間」である。栄一は次から次へと会社を創っていくが、それらの維持運営には興味がない。あとは誰か優秀な人材に託すしかない。そのためのピンポイントな人材である。
栄一が創った王子製紙。たまたま採用された甥の大川平三郎は、技術指導する外国人が手抜きで高慢ちきなことにがまんできず、独学で技術を習得して外国人を追い出した。そして、会社に建言して欧米に留学させてもらい、新技術を習得して会社の成長に大きく貢献した。
同様の事例は三菱でもあった。造船所で技術指導する外国人がやっぱり手抜きで高慢ちきだったのだ。そこで、2代目の岩崎弥之助は東京大学から理系社員を採用し、定期的に欧米に留学させて技術を習得させ、やっぱり外国人を追い出した。
ここでも、あとを託すべき一人を育成する渋沢流と、大量採用して育成する三井・三菱流の違いが見て取れる。
渋沢栄一は学問を好み、教育機関への投資も積極的に行っていたが、それは自分の事業のためではなく、日本国家のためだった。これに対し、三菱の岩崎弥太郎の人材育成は、すべて三菱(=自分)のためだった。
栄一の視点は広すぎて、自分のためにはなっていない。
私のためではなく、公のために尽くした栄一だからこそ、新1万円札の顔にはふさわしいとも言える。
しかし、そんな生き方を貫いた栄一だが、女性関係はかなり派手だった。後編では、その私生活とたくさんいる子孫の家系図を紹介する。