必要なのは罰則ではなくモノやシステムの改善

現場の人間は、勤務体制や扱っているシステムからの要求、そのサービスを受ける人などからの要求も含め、さまざまな要求を迫られている。通行者からは早く遮断機を上げてくれと言われる。一方でロックを解除することはやってはいけないという圧力がある。人間の裁量でうまく調整するしかない。しかし、バランスが崩れるとどこかにヒビが入る。それがヒューマンエラーとなって表出した。

そのとき、すべきなのは人にペナルティを与えることではなく、体制やシステムそのものを改善することなのである。

エラーを起こした人をどう改善に導くかが重要だと思われがちだが、人に改善を求めることが余計な負荷をかけることになっているのが現実である。エラーを起こしたくて起こしているわけではなく、そのとき置かれた場面では必然的になした行為や判断がヒューマンエラーとなっている。

ある意味、その場面だけを考えると、合理的な行為や判断であったことになる。それを局所的合理性ということもある。開かずの踏切で通行者を通してあげるために、遮断機を上げるというのは、あの場面では合理的であった。

つまり、ヒューマンエラーを起こしてしまうことが合理的になってしまう場面を改善しなければならない。その場面を作り出しているのは人を取り巻くモノやシステムなのだ。もちろん、人間側に対する対策も必要となるが、それよりも人間が使うモノやシステム、組織の体制などの対策が先行されるべき重要課題となる。

罰則は隠ぺいを生み、根本解決から遠ざかる

それでも、エラーを起こした人に対して、ペナルティを与えようとしてしまう。それはやってはならない。

一般には、罰は故意に行った行動の抑制にはなるが、ヒューマンエラーのように意図的に行っているわけではない場合はまったく効果がない。

罰則を前提にすると何が生じるかというと、エラーの低減ではなく、隠ぺいにつながっていく。隠ぺいされてしまうと、潜在的に存在している問題が解決されないままで、小さなエラーで済んだものが大きなものとなって顕在化してしまう。

先の踏切事故のようなケースは隠しようがないが、医療現場、製造現場などの場合、当事者にしかわからないことも多く、場合によっては隠ぺいされかねず、問題の解決につながらなくなってしまう。