「開かずの踏切」がそもそもの欠陥

開かずの踏切を作ってしまったということ自体が明らかにシステムの欠陥である。列車の運行のことだけしか考えておらず、近隣の通行者のことを考えていない。一方で、列車に乗る人のことを考えると、列車の本数を減らすわけにはいかない。列車の運行と通行者の立場を調整するのは現場の人間になってしまう。システムの欠陥の調整役が現場に求められた。

安全だけを考えれば自動で遮断機が動くようにしていればいいはずである。しかし、そうすると、ますます開かずの踏切になってしまい、誰も通れなくなってしまう。そこに人が介入すると、列車の通過の隙間をうまく見つけて通行できるようにすることが可能になる。

こうして、現場の保安係は調整を暗黙に任されていたのである。しかし、もともと欠陥のあるシステムなので、その調整がいつもうまくいくとは限らない。うまくいかなかったとき、ヒューマンエラーという形で出てくるのである。

そのとき、その人間を責めることができるだろうか。自分が同じ立場で同じ役割を担わされたときに、絶対にミスをしないと言えるだろうか。この役割を任せられたら、この保安係と同じようなことを誰しもがしたかもしれないのだ。

先の患者取り違えの事故(註)の場合、2人同時にストレッチャーで運ぶのが問題であって、それがなければ事故は起きなかったと考えられた。しかし、それは業務体制の問題である。同じ時間に手術が集中していて、病棟の看護師は限られた時間の中で、患者さんを手術室に運ばなければならなかった。当人だけが責められる問題ではない。

(編註)1999年に看護師が患者2人を取り違え、それぞれに異なった手術を行った事故

保安係を懲戒解雇、実刑では何も解決しない

この踏切事故の保安係は実刑判決を受けてしまった。会社も懲戒解雇となってしまった。遺族の心情としては何も責任が問われないことになるのは容認できないだろうが、実はこれでは何の解決にもなっていない。開かずの踏切という欠陥のあるシステムは何も改善されないからである。

この踏切の場合、直後の対策として、近くにエレベータ付きの歩道橋の設置などがなされた。さらに、時間がかかったが高架化され、踏切はなくなった。それが根本的な解決の道だった。

ヒューマンエラーは、往々にして不完全なシステムを使うことを余儀なくされた人間が起こしてしまうものである。普段はなんとかだましながら調整して行っていたのだが、ちょっとしたひずみが生じたときに、うまくいかなくてエラーを起こしてしまうのである。