日常生活では満たされない承認欲求をSNSで満たす

承認欲求は、人間にとって、とても重要です。

よく、介護をしている人が、介護対象者を虐待してしまったり、ひどい場合は命を奪ってしまったりする事件が報道されます。

あのような悲惨な出来事の原因も、多くは承認欲求でしょう。介護をする人の承認欲求が満たされないから虐待に走る人が出てくるのです。

人は、人に感謝されることがモチベーションになります。介護をする人も、される側の感謝や喜ぶ顔が見られるから、介護をする気力が出てくるのです。しかし、尽くしても尽くしても「ありがとう」の一言もなく、場合によっては文句を言われてしまっては、介護をする理由などなくなってしまいます。それどころか、介護される人への憎しみが生まれてしまうというわけです。

少し話が逸れましたが、承認欲求はそれほど大切だということです。

介護と無縁のシニアでも、人に認められたり感謝されることのない生活を送っていると、徐々に生きる気力が失われていくでしょう。かといって、退職すると仕事で他人に認められる機会がなくなりますし、長く連れ添った夫婦間で承認欲求を満たすことも難しい。

そんなシニアにとっての希望がSNSです。

SNSなら手軽に他人とつながれますし、そこにやりとりも生まれます。知識が豊富なシニアなら、それを伝えることで感謝されることもあるでしょう。そうでなくても、自分の考えを世間に向かって伝えるだけでも、承認欲求はある程度満たされるはずです。

「SNSで承認欲求を満たす」というとネガティブな響きに思われるかもしれませんが、むしろ、行き場のない承認欲求を抱えたまま鬱々と過ごすほうが危険です。

とにかく始めてみてください。社会との接点もでき、自然と承認欲求は満たされるでしょう。

テレビや新聞ばかりではなぜボケてしまうのか

もちろん、他人はテレビや新聞といった既存のメディアの中にもいます。

しかし、それらとデジタルとの決定的な違いは、ユーザーが能動的になれるかどうかです。自らの意思で動き、情報を選べるかどうかが決定的な違いです。

テレビや新聞といった既存メディアでは、基本的に情報に対しては受け身になるほかありません。能動的になれるのは、テレビのチャンネルを変えるときと、新聞をめくるときくらいです。

「テレビを見ているばかりでは、ボケてしまう」などと言われるのは、テレビが受動的なメディアだからです。情報に対して受け身でいると脳は省エネモードに入り、活性化しません。ぼんやり見ていたテレビの内容をまったく覚えていないような経験は、誰にでもあると思います。

リモコンを持ちテレビを見ている高齢者
写真=iStock.com/vm
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