今年の春闘の賃上げ率は平均5%を超え33年ぶりの高水準となったが、なぜ日本の賃金は30年以上にわたってほとんど上がらなかったのか。元ゴールドマン・サックスの「伝説のアナリスト」デービッド・アトキンソン氏と、労働市場の専門家・古屋星斗氏は、日本の経営者の体質が原因だと指摘する――。

低生産性企業の淘汰か、社会が機能不全に陥るか

【古屋】日本はいま、社会全体に必要な働き手の数を確保できない状況になっています。われわれリクルートワークス研究所のシミュレーションでは、日本の労働力は2040年には1100万人不足するという衝撃的な結果が出ています。

働き手がどんどん足りなくなっていく中で、生産性も賃金も上げられない会社は今後、存亡の危機に直面するでしょう。果たして、日本の社会が機能不全に陥るほうが早いのか、それともそういった会社が賃金上昇圧力に敗れて退出したり、より労働者の力を活かせる企業に買収されたりするのが早いのか。そんなチキンレースになっています。

そういう意味では、行政はこの競争をもっと早めなければいけません。

生産性を上げられない企業が残り、ほとんどの労働力を生活維持サービスにつぎ込んでも足りないということになれば、街にゴミがあふれかえり、事故が多発し、地震が起きても復旧できない――そんな未来が現実のものになってしまいます。

【アトキンソン】いちばんに考えなければいけないのは、「なぜ労働者はいまの体制の犠牲者にならなければいけないのか」ということです。

今の分散型の産業構造の経済合理性が年々低下している中で、人口減少が進めば進むほどさらに経済合理性が悪化していく。労働者が低賃金で働かないと、もはやそのビジネスモデルは成り立たなくなっているんです。

労働者を集約することが解決策なのに、経営者たちはそれでも「嫌だ」「いまのまま経営を続けていきたい」と言う。でも、それを続けていくのは、労働者たちが低賃金のまま働き続けることが大前提なんですよ。なぜ労働者が犠牲を強いられなければいけないのでしょうか。

賃金が上がらない一番の原因は大企業

【古屋】同意見です。労働者は自分の意見ももっとはっきり言うべきだ、というのはアトキンソンさんの主張ですよね。ただ、日本の労働者が経営者に対して1対1で交渉するのは非常に難しい。

私は労働者をもっとサポートする機能をつくらなければいけないと考えているんです。労働条件の交渉に際して公的な機関がアドバイスする、もしくは交渉を代行する。そうしたエージェントのような機能を日本につくるべきではないでしょうか。

たとえば、ドイツでは職種別の労働組合が非常に強いので、労働組合がそういった機能を担っています。かつては日本でも、高い組織率を誇る産業別の労働組合が、賃金を上げていたわけです。ところが現在、日本の労働組合の組織率は16%程度しかありません

【アトキンソン】そもそも、日本で経営者と労働者の摩擦がほとんど起きていないのはおかしな話ですからね。そうした摩擦を解消するために古屋さんがおっしゃるようなエージェント機能をつくるなら、それは一つの解決策になりうるのではないでしょうか。

賃金が上がらない状況をつくり出したいちばんの原因は、大企業にあるんです。大企業がこれまで賃金を上げられるのに上げてこなかったから、賃金の競争が起きなかった。

大企業が賃金を上げ続けていれば、小さい企業から中堅企業、中堅企業から大企業へと人の移動が促されていたはずです。小さい企業が低生産性・低賃金のまま生き残れてしまっている最大の理由は、大企業にあるんです。

古屋星斗氏。
撮影=大沢尚芳
古屋星斗氏。