日本の金融政策の歴史を振り返る

1985年のプラザ合意以降、日本銀行総裁は基本的に金融政策を引き締めることと円安を支持していたが――福井俊彦総裁(任期は2003〜08年)の前半を除くと――実際には円高でデフレ気味の経済運営が続いていた。日本経済は需要が不足してデフレ基調で低迷し、企業も新しい投資を抑えたため労働市場に活気がなかった。投資がなければ技術の進歩も期待できず、国内の生産性の向上も見られない「低圧経済」であった。

日本銀行
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この状態を打ち破ったのが、2012年からの第2次安倍晋三政権だ。日銀総裁に黒田東彦氏を任命し、従来よりもはるかに積極的な「異次元の金融緩和政策」を実施した。円安が進み企業収益が増加し雇用も活発化、特に女性を中心とする雇用市場を拡大した。日本経済に活気が戻ると、企業も新しい投資に積極的になり、生産性も向上した。この段階では私は、円高を阻止して日本経済に活気をもたらした、いわゆる「高圧経済」の政策方向に大賛成であった。

ところが近ごろは、事情が一変して円高でなく円安のほうが目立つようになった。日本の学者が海外出張で私に会いに来る約束があったのに、「アメリカ出張ができなくなりました」という連絡をもらうことがある。おそらく円安になって航空料金や旅費が高くなり、研究費で賄いきれなくなったのであろう。日本の学者が、特に若い人たちが、頭の柔軟なうちに十分に学問や海外事情、政策論争を現地で学べなくなるのは心配だ。

アベノミクスはなぜ未完成だったのか

私も、現在の円安は行きすぎているように思う。本連載で何度も紹介しているが、慶應義塾大学の野村浩二教授は、日米間で製品の生産コストが同じになる為替レート(PLI:Price Level Index)を発表していて参考になる。

現在、円・ドルのPLIレートは1ドル=110〜120円にある。為替レートがその間にあれば、日本で生産した製品をアメリカにもっていけば、その製品は日本と大体同じ値段で売れる。ところが現実のように、円・ドルレートがPLIレートよりも円安の1ドル=150円を超えれば、日本で生産された製品はアメリカで安く販売でき、アメリカ製の製品より売れやすくなるわけだ。

日本への旅行会社のサービスも同様の理由で安く、アメリカから観光客が日本に殺到しているのである。いわば「日本投げ売り」の状態であり、日本国民も過度に安いものを外国に提供しているため、経済的にも負担がかさんでしまう。

安倍政権と黒田総裁が登場する以前は、これが逆転していた。そのころは、PLIレートが円高のほうにほぼ恒常的に揺れていた。円高の下では、日本でつくったものが外国では高くなり売れない。したがって、日本国内への投資が抑えられ、日本企業も国内より海外に工場をつくったほうが有利になる。日本が昔の大英帝国のように、海外投資で利益を得る「金利生活国」ないし「宗主国」状態になりかかっていたのである。

それをもとに私は、より円安の方向の緩やかな「高圧経済」が望ましいと説き続けてきた。そして、黒田日銀の円安志向の金融政策の下で、日本経済は――アベノミクス実施時期の四半期の底から頂点までの差をとれば――実に500万人の雇用者を生んだのである。

ただし、アベノミクスが雇用の面でうまくいっていた時期も、物価、そして国民生活に最も関係する賃金は思うように上がらなかった。物価が上がること自体は、賃金が変わらない人や、資産が限られている人にとっては好ましくない。そのため雇用が増えていればいいという見方もある。しかし、あまりにも長いデフレで、経営者の物価上昇への期待が極端に冷え込んだため、賃金も抑えられてしまった。特に、非正規労働者の賃金の上昇が妨げられたことが、アベノミクスの成功を未完成なものにしたといえよう。