戦後処理の防壁を切り崩そうとする動き

以上のように見てくると、慰安婦問題とは、先輩外交官が営々と苦労を重ねて築き上げてきた戦後処理の防壁を切り崩そうとする動きであったことが理解されよう。その際の殺し文句は、「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」と称される非人道性だった。

ちなみに、サンフランシスコ平和条約や二国間の条約・協定等で解決されてきた財産・請求権の問題が再び蒸し返されたもうひとつの例がある。

1993年に署名、1997年に発効した化学兵器禁止条約という多数国間条約の作成だ。

本来、戦争が終わり、武装解除して遺棄された武器や兵器は、それらを持ち込んだ遺棄国ではなく、持ち込まれた被遺棄国のものとなる。そして、被遺棄国によって活用されたり、処分されるのが従来の慣行だった。

個別の条約で「特別法」が作られた

ところが、化学兵器禁止条約が作成・発効した際に、化学兵器の開発、生産、貯蔵、使用が禁止されたのみならず、遺棄についてまで規定が設けられ、この条約の締約国は、「他の締約国の領域内に遺棄したすべての化学兵器を廃棄することを約束する」という義務を負うこととなった。

その結果として、旧日本軍が大東亜戦争終了の際に中国大陸に残してきた化学兵器の処理は、日本軍の武装解除を受けて化学兵器を含む武器を受領した中国政府ではなく、化学兵器を遺棄した日本政府が行うこととなり、日本側の巨額の費用負担が求められることとなったのだ。種々報じられている数字を見ても、投入される経費は優に1000億円を超えるレベルのものだ。

札束
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いわば戦後処理の一般法に対して、個別の条約で特別法が作られ、防壁に大きな穴が開けられた構図と言えよう。

教訓は、慰安婦問題のような非人道性の強調、化学兵器禁止条約のような「特別法」の制定は、これらで終わる保証など一切ないことである。まさに、戦後数十年経った後であっても、新たな認識や価値観に基づく歴史の見直しや新たなルールの適用がいつでもあり得る危険を示している。

そして、慰安婦問題への対応や、化学兵器禁止条約作成時の外務省その他の関係省庁の交渉能力、抵抗能力の弱さを考えれば、日本の相手方が「歴史カード」を振りかざして柳の下の二匹目、三匹目のドジョウを狙う事態も決して排除されないのだ。その意味でも、徴用工を巡る韓国の裁判所による日韓請求権協定に背馳した裁定には、断固として対応する必要がある。