踏み台になりたい
阿部愛里(あべ・あいり)さんは、宮城県気仙沼西高校(福祉科)2年生。将来何屋になりたいか。震災から9月の取材まで、そして取材からの3カ月間で、阿部さんの思いはちょうど一周して原点に戻るようなかたちになっていた。
「高校入りたてのときぐらいまでは、和太鼓のプロになりたかったんです。4歳のころ『気仙沼みなとまつり』で見た太鼓がかっこよくて、自分もやってみたいと思ったことから始めました。世界中回って、言葉じゃなくて音楽を通して人と関わりたいなと思ってたんですけど、震災になってから、いろいろほんとに考えて、ほんとにこれでいいのかなとか考えて。自分の親の仕事がなくなったりとかもして、そういうのもあったんで」
阿部さんのお父さんは自動車保険関係の仕事。気仙沼の観光コンベンションで働いていたお母さんは、震災後しばらくの間、仕事を失った。
「将来の夢は、世界中の子供達に夢を与えて、それを叶えるための踏み台になるのが夢なんです。職業は、人生生きる中でひとつじゃないと思ってて、だからこれっていう職業はまだ明確にはないんですけど、やりたいことというのがいっぱいあって、そのやりたいことというのは好きなことだから、それを突き詰めていけば仕事になるかなっていうふうに考えてて」
踏み台、という表現が気になります。高いところにある物をだれかが取るときに、床に四つん這いになって踏まれてるような語感があるのですが。
「いや、そういうんじゃなくて……ジャンプする、そのバネになりたいなって」
ここで横で聞いていた男乕さんが助け船を出してくれた。「ロイター板?」。跳び箱の前に置いてあるあの弾む板だ。
「そう、そういうかんじ。何か超えるために踏むもの。そういうのになりたい」
阿部さん自身の"踏み台"になった人っているんですか。
「います。中学1年の時にベトナムで出合ったキャビンアテンダント(CA)の方です。和太鼓の海外公演でベトナムに行ったんです。そのときに、ベトナム戦争で枯葉剤の被害を二世、三世と受け続けている子どもたちに会って、すごくショックで。戦争終わって何十年も経ってるのに、まだ続いてる。知ってしまったから、自分も何かしなきゃいけないなと思って。太鼓を叩いたら、すごい喜んでくれて、元気が出たとか言ってもらえたのが、すごく嬉しくて、自分のやってることが、小さいことでもそう思ってくれたらすごく嬉しいなと思ってて。
そのときに、『演奏聴いて、感動して涙が止まらなかった。勇気をもらえた』と言ってくれたCAの方。CAの仕事がうまくいっていなくて『もう辞めてしまおう』と思っていたときに、友だちに誘われて観にきた公演でわたしたちの演奏を聴いて『わたしも頑張ろう』って。この方とは今でもメールを通じて交流があります。いまでは、後輩が何人もできるほど出世したそうです。この方に会って、世界中の子どもたちの夢を叶えるための踏み台になりたいというわたしの夢が生まれたので、この出来事が、わたしの踏み台になったのではないかと」
なるほど、”踏み台”の語感がわかってきました。では、具体的な仕事の話を聞かせてください。学校を卒業した後、阿部さんはお金をどういう方法で稼ごうと思っていますか。
(明日に続く)