「技能の習得」を労働の対価と捉える若者もいる

私は以前「人的資本から考える労働時間への影響」というテーマで研究をしたことがあります。当時はサービス残業が世の中を大きく揺るがしており、自己研鑽という名の残業に向けられる目が厳しくなった頃です。それに伴って、多くの企業が労働時間短縮に向かい始めた時期でもありました。

研究内容は「いわゆる労働の対価としての報酬に“技能の習得”を含めることはできるのか」というものでした。私は実態を調査すべく、労働時間に関してシェフや板前を目指す若者にインタビューをしました。その結果、「あまりにも過剰に労働時間を規制されると、一人前になるまでの期間が長くなるから迷惑だ」という声が多数ありました。過度な長時間労働は嫌だけど、適度には働きたいということでした。

ただし、これは単純にお金のために労働時間を長くしてほしいという希望ではなく、早く技術を磨きたい、一人前になって早く独立したいというのが本質的に求めていたところです。職場を“自己実現の場”と考えている労働者にとっては「労働の対価=技能の習得」という考え方はできなくはないということでした。

寿司職人
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高い給与や短い労働時間だけが報酬ではない

つまり、労働時間などの処遇以外にも報酬になり変わるものは存在しており、そこに不足感や不満があれば離職にもつながることがあるのです。どんなに給与が高く、休みが多くても、すべての離職を止めることはできないのです。

例えば、チームで働くことが好きな人が一人きりで仕事をすることに耐えられなくなって離職したり、業務は直接関係なくても人間関係が嫌で離職する場合もあります。人が職場に求めることは千差万別であり、働きやすさはそれぞれの価値観によって異なるのです。若手社員のホワイト離職もその一端と言えるでしょう。