「旧統一教会に解散命令を言い渡す確率は90%超はある」

振り返れば、1990年代に私を含む元信者らが弁護士らとともに起こした裁判は、教団の違法性が何も示されていないなかでの戦いで、原野に生えている草や木を一つ一つ刈り取りながら前に進むような艱難辛苦の歩みでした。私の裁判のスタートは1999年ですが、それより前に教団に戦いを挑んだ元信者らの歩みはより険しい道だったはずです。

当時は、今のように世論が味方についているわけではなく、逆に信者になったのは、自己責任だろうといった「逆風」のなかで行われました。

しかも1990年代から2000年代にかけて教団は多くの信者とお金を集めて隆盛を極めていた時期で、組織的な攻撃性はすさまじいものがありました。何より教団の関連団体である勝共連合を通じて多くの政治家とのつながりもあり、教団は飛ぶ鳥を落とす勢いでした。そうしたビハインドの環境下で元信者や弁護士らは裁判を起こしてきたわけです。

当時、元信者らは教団を辞めた時にはお金もほとんどなく、社会に放り出された形で、一からすべてを始めなければなりません。長く信者であった者ほど、布教とお金集めの活動だけをしてきたために、仕事におけるスキルもありません。自らの生活をするために精一杯という人たちもたくさん見てきました。

それでも、巨大な宗教団体・旧統一教会を相手に、人生を奪われたことへの損害賠償や献金の返金を求めての裁判を起こして戦おうと立ち上がる人たちがいました。

当時の旧統一教会という巨大組織からみれば、数千万円の損害賠償請求をする元信者らは、取るに足らない存在であったかもしれません。それゆえ教団側は「霊感商法は信者らが勝手にやったこと」という詭弁を弄して、責任を逃れようとしました。

しかし真実の言葉にまさるものはありません。司法の場などでの元信者らの告白によって、社会が動き、国が動き、今に至っています。

教団は、コンプライアンス宣言(2009年)において今後は「教団名を隠しての伝道はしない」としていますが、これからの改善だけで終わりではありません。教義を教え込む施設にもかかわらず「自己啓発の勉強をするビデオセンター」とウソをついて誘うことで、「ここは統一教会ですか?」と尋ねられれば、「違います」と答えなければなりません。一つのウソをつくことで、新たなウソもつかなければならなくなります。こうした「ウソを重ねて布教してきた」過去の事実をしっかりと見つめ、社会に贖罪しなければなりません。

非訟事件である今回の解散命令請求への司法判断がいつなされるのか、その時期は全くのブラックボックスです。しかし、解散命令事由の彼らの言動が「法令に違反し、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」にあたると判断するのは当然のことですし、前出の過料の決定文をみる限り、裁判所が旧統一教会に解散命令を言い渡す確率は100%とまでは言いませんが、90%超はあると私は見ています。

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