なぜ日本のアスリートは「政治的発言」ができないのか
――作品では、スポーツに興じる人とスーツ姿の人が対峙しています。
神宮外苑には1947年に竣工した秩父宮ラグビー場があります。当時のラガーマンの勤労奉仕や寄付により造られた「ラグビーの聖地」です。ここを音楽ライブやアイスショーなどもできる複合施設に改修する計画です。収容人数は2万5000人から1万5000人に減ってしまいます。阪神甲子園球場のように、既存の施設を生かして改修工事をするという選択肢もあったはずです。これだけ歴史あるラグビー場を、収容人数を減らしてまで取り壊す必要はあるのでしょうか。
関係者に話を聞くと、多くのラグビー関係者が不満を抱きながらも、反対の声を上げられずにいることがわかりました。海外のアスリートは、むしろ積極的に政治的な発言をしていますが、日本ではさまざまなリスクに阻まれてできないのです。
一方、開発をする側も一枚岩ではありません。企業や行政など話を聞いた人の中にも、開発に反対という意見はありました。でも、それを表明することはできません。もしくは「組織の決定事項だ」と考えることを放棄しているのです。なので、作品内でのスーツ姿の人たちは下を向いています。
周辺に住む人たちからも声を聞きました。作品には、開発が急に進められ、対話のテーブルすら設けられないことに落胆した人たちが写っています。裁判を起こした人もいます。都の再開発プロセスは合法なのかもしれませんが、本当にこれでいいのかと感じました。
そういった声を上げられないラガーマンや神宮外苑を愛する人々と、まるでロボットのように組織の決定を粛々と実行するシステム側とのコントラストを、ラグビーの試合に見立てて1枚の写真に収めたのが、今回の作品です。
少数意見を無視する暴力性を可視化したかった
――システム側の一人は「チェーンソー」を手にしていますね。
樹齢100年以上を数えるイチョウ並木は神宮外苑の象徴です。それを含む700本以上の樹木が伐採予定です。都は「残せる木は移設して残す」「植樹をして樹木の本数は維持する」としていますが、専門家からは「移植すると根が定着せずに枯れてしまう」と聞きました。また植樹で本数が増えても、今と同じ景色になるにはまた100年近い月日がかかります。
ラグビー場の改修は必要なのかもしれません。イチョウ並木もいつかは伐採しなくてはいけないのかもしれません。私も再開発そのものの必要性は認識しており、全てに反対しているわけではありません。ただ、少なくない人が反対を表明しているのに、それを無視して強引に進める暴力性に疑問を感じています。