彼には彼の言い分があったのではないか。
逆賊。裏切り者……。悪名を残した戦国武将、長尾景春の史実を追ううちに伊東潤さんはそんな思いを抱いた。
「武士らしい凛とした生き様や純愛……。読後感のいい物語ばかりが人気ですが、組織のなかの生々しい人間の生き様を書きたいと思っているんです。戦国時代の武士も、組織のなかで生きていたわけですから」
関東管領・山内上杉家の家宰を務める家柄に生まれた景春を伊東さんは、「いまなら終身雇用の企業に属していたようなもの」と語る。しかし当主の上杉顕定と対立。少年時代から〈憧れ、懸命にその背中を追いかけ〉兄と慕った太田道灌をはじめかつての仲間たちや自身の家族と闘いを繰り広げる。
景春は負け続ける。ときには部下を置き去りにして、景春ひとりだけ生き延びる。そして敗北のたびに立ち上がり、刀を持つ。その原動力となるのが、旧主への私怨――。
「凛とした生き様」とはかけ離れた執拗で執念深い生き方だ。
でも、と伊東さんは語る。
「これだけ変化の激しい時代だからこそ、運命を自らの手で切り開き、しぶとく生き残った景春の人生を多くの人に知ってほしかったんです。企業でも人間関係のトラブルやリストラで組織を辞めざるをえない状況に追い込まれる場合もあるでしょう。私怨、嫉妬、憎悪……。様々な感情を自分の力に変えてでも、再び立ち上がらなければならない。景春も、そうやって諦めずに意志を貫いたんです」
その言葉は、伊東さんの来歴に重なるように感じる。
外資系企業に勤務後、経営コンサルタントとして独立したが、2008年のリーマンショックで顧客を失ってしまう。そして、専業作家に転身。当初は、生き残るために、と歴史小説だけではなく、歴史とビジネスを融合させた新書なども手がけた。
諦めずに意志を貫く――。今年1月に刊行した『義烈千秋 天狗党西へ』にも通じるテーマだ。幕末、水戸藩の天狗党。顧みられる機会も少なく「内ゲバ」で壊滅したとさえいわれる彼らを取り上げたのは、志を持ち戦い死んでいった男たちの“言い分”を遺したかったからだ。
描き出されたのは、現代を映し出す鏡といえる物語である。『叛鬼』、そして『義烈千秋』の構想を温めていた昨年3月。東日本大震災が発生した。
「日本が立ち直らなければならない時代に、名を知られているわけではないが、志を持ち諦めずに生き抜いた人たちの物語を届けることができてよかった」