柳の下の泥鰌を狙い、売れるジャンルに新規参入が相次ぐのは出版の常、時代小説を読みたいが点数が多すぎて何から読めばいいかわからない、という声をよく聞く。そこで、物心ついた頃には祖父の膝の上でテレビの時代劇に見入り、その影響で中学時代からこの世界に耽溺してきた私が初心者のための必読100冊を選んでみた。ちなみに史実に沿って筋が展開される作品を「歴史小説」、時代という衣装を借りて作者が夢を語るものを「時代小説」というが、本稿では区別せず、時代小説で統一する。

作品解説に入る前に、時代小説を読むうえでのポイントを押さえておきたい。

時代小説は過ぎ去った過去の話を扱うから興味がもてない、という人がいる。違うのだ。設定は過去であっても、優れた作品ほど、その内容が現代との合わせ鏡になっている。例えば今年のNHKの大河ドラマの原作、火坂雅志の『天地人』。主人公、直江兼続は、関ヶ原の戦いで西軍についたため、領地を減らされ、米沢へ転封されるが、家臣をひとりもリストラせず、彼らを食べさせるために殖産興業を推進し、農業の手引書まで作った。まさに未曽有の不況に負けまいとする昨今の中小企業の経営者とだぶる。

合わせ鏡ということは、作家にとっては書きたいテーマをオブラートにくるんで表現できるということだ。学生時代、北方謙三は全共闘の闘士だったが、彼の『水滸伝』はそのときに端を発するキューバ革命への思いがベースになっている。

時代小説は世の中の状況によって売れ筋が変化するのも面白いところだ。20年前、バブル絶頂の頃は、剣豪物や幕末物など威勢のいい作品が売れていたが、崩壊後、すぐに売れ出したのが庶民の日常を描く市井もの。そういう意味では、時代小説は時代を映す鏡でもあるのだ。

戦国武将に興味をもつ女性が増え、歴女(れきじょ)ブームといわれるが、私はこれに否定的だ。断片的な「知識」をいくら増やしても「認識」には高まらないからである。「秀吉が刀狩りを行った」というのは単なる「知識」である。ここから、戦時以外は武器をもたない、世界でも稀な国民ができあがった、という見解をもつことが「認識」にほかならない。知識が認識にまで高まって、初めて歴史を理解するきっかけとなったことになる。

といっても、時代小説を堅苦しく考える必要はない。今、乗りに乗っている書き手の代表、佐伯泰英は「自分の作品はサラリーマンのストレス解消として読んでもらえれば本望だ」としばしば語る。このような側面もあるのだ。