旧来は職人の勘と経験だけに頼っていたそうした高度な技術を、旭酒造では、いわば「見える化」を実現することで、四季を通じて高品質の酒造りが可能なデータを集積し、共有することをめざしてきた。経営の傾きかけた山口の会社を全国屈指の日本酒メーカーに一挙に押し上げた「獺祭」は、その一つの到達点である。

獺祭
撮影=ミヤジシンゴ
獺祭。旭酒造を全国屈指の日本酒メーカーに一挙に押し上げた

「獺祭は嫌いなんだ」という客に遭遇、そのとき蔵人は…

「交換留職」中であった脇園氏がつづける。

脇園さん
「獺祭は嫌いなんだ」と語る客に出会った時を振り返る脇園さん(撮影=ミヤジシンゴ)

「京王プラザホテル内の和食レストラン『かがり』で、『旭酒造から研修でまいりました』とお話ししたら、すぐに『獺祭は嫌いなんだ』というお客様もいらっしゃいました。お酒は嗜好品ですから、好き嫌いには立ち入らずにお話ししているうちに、『獺祭の〈登龍門〉を一から造っている者です』とお話しすることになりました。機械化を図りながら、〈登龍門〉も自分たち若手が2名1組で一からすべて造っていて、こういうところが大変なんです、とご説明していったんです」

完全オートメーション化でもないし、100パーセントの人海戦術による酒造りでもない。あくまで品質第一で、科学的データを重視しつつ、苦労を伴いながら人の腕と技術によってブラッシュアップを図り、満を持して「獺祭」を送り出していると淡々と話すことになった。

会話や所作の一つひとつに緊張感が伴う。50代とおぼしきその男性客は、「獺祭 登龍門」をボトルでオーダーし、楽し気にひとときを過ごして帰って行った。

「アンチ的なご意見こそ勉強になる場合が多い」

「そのボトルの最初の1杯を『すごくおいしい』と飲んで、『獺祭好きになってしまうかもしれない』というお声までいただきました。お一人でも多くの獺祭ファンをつくる手助けが私の力でできたのだとしたらと、すごく大きな経験になったと思います。それと、『獺祭が嫌い』というアンチ的なご意見こそ、私たちにとって勉強になる場合が多いと実感するようにもなりました」(脇園氏)

山口の地で手ずから届けようとしている商品が、ダイレクトに目の前の顧客に歓迎されたとき、快哉かいさいは決して小さくはなかろう。成功と至福を同時に体験したのであるとして、おそらくそれは個人の到達点にとどまるまい。個々人の体験が成功とそうでない場合とを合わせ、互いの会社で共有されて、企業文化として積み上がってゆく。

やがて、おのおのの持ち場へ立ち返り、その「交換留職」の経験が商品やサービスを通して顧客にゆるやかに伝わっていったとき、個人の成功体験は組織全体の企業文化へと発展するのではなかろうか。