同い年のタクヤとのファーストコンタクト
1994年12月。
放送作家としてAMのラジオ局で修業を積んでいた僕は、大人たちに認められたくてがむしゃらに食らいついていった結果、ラジオ局で沢山の仕事をもらえるようになっていた。
そんな僕に、FM局での仕事のオファーがきた。初めてのFM番組のレギュラーの仕事だ。
それは、あのアイドルの仕事。ドラマでも人気が出始めていた、6人の中の1人のメンバーの番組を作るという仕事だった。
千鳥ヶ淵の横にあるビルの一番上のスタジオ。
スタジオに入ると、既に彼は到着していて、窓枠に肘をかけて立ちながら台本を読んでいた。
窓から差し込む光が、彼を囲んでいて。
彼は「こんちは」と言って名前を名乗った。
僕と同じ年。1972年生まれ。同学年。
僕が同じ年だと知ると、彼は「タクヤって呼んで」と言った。
アイドルだからこそナメられたらいけないと勝手に思い込んでいた自分は、最初にかましてやらなきゃ! とイタい使命感のようなものを抱いていた。だから初対面の彼に向かって、いきなり、彼らが出演していたとあるバラエティー番組のことを話し、「俺、あの番組嫌いなんだよね」と言った。
すると、タクヤは笑いながら。
「俺も」
そう言って手を差し出してきた。
僕はその手を強く握った。
「等身大の22歳」がアイドル像を破壊
22歳同士。同学年のタクヤのラジオは「ワッツアップ」という挨拶で始まり終わる、まさにアイドル像を破壊していく番組だった。
彼と同学年の人が話すようなことはすべて話す番組にしたかったし、彼もそれに乗っかり、まんまと飛び越えていった。
アイドルが恋愛の話なんてしないのが当たり前だった時代に、恋愛経験から、付き合っていた彼女の話まで、「自然」に、やんちゃに話した。
ラジオを作っていく中で、彼のモノマネをする能力、特に格好いい人の格好よさをモノマネする能力の高さに痺れ、キャラクターを作ってコントのような企画も考えた。
彼らのファンだけではなく、自分らと同世代の男が聞いても、共感したり笑ったり出来る内容にしたいと思って、全力で向き合った。
普通のマネージャーなら、僕のそういう番組構成に対して絶対怒るところだが、イイジマサンは僕のやることをおもしろがってくれた。