戦前、弁護士は司法省の監督下に置かれ、格下と見られた

ちなみに、現在の司法試験は、法律家としての資格を取得するための国家試験である。合格者は司法修習生として実務を学ぶのだが、その立場は公務員ではない。司法修習を修了した後に法曹三者(判事、検事、弁護士)のいずれかになる資格が与えられ、この時にはじめて公務員の裁判官や検事、民間の弁護士になることを選択する。

戦後の弁護士法には「弁護士自治」が明記され、国と対等の立場になった。堂々と国を相手に裁判を起こすこともできる。しかし、戦前の弁護士は司法省の監督下に置かれていた。公務員である判事や検事には、弁護士を格下に見る風潮が強かったという。下請けの業者のような扱いだった。

また、判事や検事の採用については、この頃も「男性に限る」とされたまま。女性がなることができた法律家を弁護士に限ったのは、そうした格下扱いの意識が関係していたのではないか? そんなふうにも思えてくる。

嘉子の早い結婚を望んでいた母親も受験勉強をサポート

しかし、司法科試験は“格上”の裁判官や判事の志望者と“格下”の弁護士志望者が同じ土俵で争うことになる。帝大生でも合格は至難の業といわれる狭き門であることに変わりはない。明治大学法学部をトップの成績で卒業した嘉子だが、やはり高いハードルと感じていた。

負けず嫌いで勝ち気な性格ゆえ、険しい壁が目の前に立ちはだかっていれば、臆するどころか逆に闘争心がわきたつ。

また、自分の合否は女子部の存続にもかかわってくる問題でもある。母校のため、後につづく後輩のため……。その思いが、燃えたぎる闘争心に油を注ぎつづける。使命感をかきたてられる。

大学卒業後は、その年の秋に予定されていた試験にそなえ自宅で受験勉強に明け暮れた。普通の女子大学を卒業生していれば、見合い話もたくさん持ち込まれたところだろう。けれど、法律を学ぶような“恐ろしい娘”を嫁に欲しがる物好きはいない。おかげで面倒なことに煩わされず、受験勉強に専念することができた。

この頃には母も諦めたのだろうか、それとも、新しい女の生き方に理解を示すようになったのか? 嘉子のやることには一切文句は言わず、それどころか、夜食の準備をしたりして受験勉強をサポートしてくれた。