裏づけなき「公約」から一歩前進

事業仕分けや埋蔵金による財源捻出ができなかったこと、選挙前には否定していた消費税増税を強行したことなどで、民主党が「マニフェスト違反」という批判を浴びている。そのことで、政権に法的責任は生じるのだろうか。

実はマニフェスト発祥の地である英国でも、マニフェストが法的な拘束力を持つかどうかについては議論がある。が、大勢としては、「選挙前に掲げたマニフェストを実行できなかったとしても、法的責任を問われることはない」という方向だ。

政権は万能ではない。何らかの障害のために、意思に反して政策が実施できなかった場合、マニフェスト違反として政治家の法的責任まで問うことは難しい。民主党のマニフェスト違反も、実際には意図的というより、制度上の制約によるところが大きい。やろうと試みたものの、政治的状況で実施できなかった政策もあれば、そもそも前提となる現状認識が間違っていて、方針を変更せざるをえなくなった政策もある。

実現できなかった16.8兆円の財源の捻出など、民主党のマニフェストに甘さがあったことは否定できない。それには日本の政党、特に野党の情報収集力の不足が関わっている。英国では、官庁は野党に対しても情報を提供することが義務づけられているが、日本の官僚は、政権党以外には情報を出そうとしない。しかも各党は、官僚以外の独自の情報源やアドバイザーを持っていない。

また日本の選挙制度では、選挙民は衆議院選挙で勝たせて政権をとらせても、気に入らないと、次の参議院選挙では投票せずに負けさせて、お灸をすえるという傾向がある。その結果、衆参で多数党が異なるという「ねじれ国会」が常態化し、政策実現のためのハードルがきわめて高くなってしまった。そもそも次の総選挙までの4年間に、参院選、統一地方選、政党の党首選挙と、途中3回も選挙によるチェックを受けるのでは、腰を落ち着けて政策を実行することができない。これは日本の政治制度の欠陥といえる。