67歳の野原広子さんは週刊誌などで体当たり取材を得意とするライターだ。20代後半で起業するも、経営に失敗。仕事や人間関係の煩わしさから逃避するかのごとく、ギャンブルにのめり込んで依存症に。それでもなんとか本業と並行してさまざまな肉体労働に従事してきた。「世間的には“負け犬”」と自分をあっけらかんと評するが、人生に起きたことを全てネタにして46年間書き続けてきた。その生き方は実にたくましく明るい彼女の老後、孤独、恋愛や友人との向き合い方を聞いた――。(取材・文=東野りか)
野原広子さん
撮影=東野りか
野原広子さん

20代で「復讐婚」結婚4年でバツイチになる

“オバ記者”として、雑誌を中心に健筆をふるっているベテランフリーライターの野原広子さん(67)は「バツイチ、子なし、貯金なし。肉親は故郷にいる弟のみ」と公言するという無頼派だ。高血圧と心臓病の既往症も抱え、数年前には卵巣の境界悪性腫瘍(良性と悪性の中間に位置づけられる腫瘍群)の手術も受けた。

基本、「女一匹狼」として生きてきた彼女だが、少し照れくさそうに「人並みの幸せをつかんだこともあるんです」と打ち明ける。

20代前半で、なんとエリート男性と結婚したというのだ。しかし、「最初から離婚確実と確信しながらの結婚だった」という。いったい、どういうことなのか。

「結婚は私によっては復讐だったんです。その対象は、『中卒で働け』と命令した継父、大学に行きたいと懇願したのに『ここだけの話にしておけ』と継父に話すのを封じた母。そんな両親に『私は大卒のエリートサラリーマンと結婚したのよ。仲人さんは有名大学の教授なんだから!』って言いたかった。それに私を手ひどくふった男にも『大手企業に勤める男と結婚したんだからね!』とアッカンベーをしたかったんです(苦笑)」

結婚にこぎつけるまでにさまざまなハードルがあったが、復讐を成就するために忍耐強く乗り越えた。それぐらい負のエネルギーがすさまじかったのだ。しかし同居していた姑らとの揉め事も加わり、当初の思惑通り、わずか4年で結婚生活は終わりを迎える。

十二支の動物を10種類と言い張る継父との関係は最悪だった

前述の継父との関係性が「男」に対する不信と憎しみの原点だった野原さん。

実父は60年以上前に幼い彼女と弟、さらには借金を残して亡くなり、母は継父と再婚した。野原さんがおとなしかった10歳ごろまで継父は可愛がってくれたが、自我に目覚めた頃から野原さんは次第に彼に反抗するようになる。

何か意見をするたびに「親に口答えするのか? 誰に飯を食わせてもらっているのか?」と継父は怒鳴り立てた。決して手をだすことはなかったが、その怒鳴り声を恐ろしいと思ったのは、理屈が通らないからだったそう。

例えば、十二支の動物は何種類いるかという話題を家族で話し合いをした時。「十二支なんだから12種でしょ?」と誰かが言うと、継父は「そんな半端な数のワケがない。10だ!」と真顔で言い張る。挙句の果てに「親父を立てられないのか!」と威嚇したから始末に負えない。

反抗期真っ最中の彼女は「バカをどう立てるんだ?」と口に出さないまでも、顔に出ていたのだろう。中学生になると、二人の関係は最悪になり「生意気な娘に知恵をつけるとますます親父をバカにする。中卒で働け!」となったワケだ。今なら完全アウトの昭和の頑固オヤジの典型だったのか。

それではあんまりだということで、親戚のとりなしで、商店の住み込み店員になり、店から農業高校に通った。そのおかげで働くことはなんら苦にならなくなった。金がなくなれば働けばいい、ライターの稼ぎだけで足らなければ、他の仕事で補えばいい。その考えは今も変わらない。「私は、男に頼らずに生きてきたんだ」。野原さんのそんな強烈な矜持を筆者は感じた。