伊藤剛臣(釜石SWラグビー部・元日本代表)
復興のシンボルとなったラグビーの釜石シーウェイブス(SW)。その先頭に立ち、41歳の伊藤剛臣は全力プレーを続けた。ボールを持っても、タックルにも。
日本代表キャップ(国代表戦出場数)「62」を誇る名FWは衰えを知らない。11月24日のトップイースト(注・関東ラグビーフットボール協会主催地域リーグのひとつ)、三菱重工相模原戦(横浜・三ツ沢)。80分間フル出場したが、15−62で大敗した。これで5勝3敗となり、来季のトップリーグ(TL)昇格の可能性が消えた。
愛称「タケさん」は顔をゆがめた。
「すごくがっかりしている状況です。これでトップリーグにチャレンジすることができなくなった。悔しい。素直に悔しい」
根っからの負けず嫌いである。今年2月、神戸製鋼から戦力外通告を受けた。が、ラグビーへの情熱は消えず、4月、釜石SWに「押しかけトライアウト」で加わった。妻も娘も一緒に岩手県釜石市に移った。
釜石SWの前身、新日鉄釜石のV7を知るタケさんにとって、最後の炎を燃やせるチームとしては最適だった。神戸で1995年の震災を体験しているラガーマンとしての因縁も感じていた。もはやゼニカネの問題ではない。目標が「TL昇格」だった。
ただトップイースト上位のクボタや三菱重工相模原と比べると、チームの戦力不足は歴然としていた。選手層が薄いため、ケガ人が続出すると大幅に戦力ダウンした。
チーム事情の話になると、「僕は監督でもコーチでもない。いちプレーヤーですから」と言葉を濁した。
「精神的にも肉体的にもみんな、いいものを持っているんです。でも、それを出し切れていない部分がある。もうちょっと熱さがあってもいいのかな、と思います」
勝負にかける情熱は人一倍強い。経験豊富なベテラン選手として、若手にラグビーの厳しさ、勝負への執着を伝えたいと思いながらも、まだ時間は十分ではなかった。
「正直、もどかしさは感じます。でも、自分で選んだ道ですから、前向きにやっていくしかない。来年、自分自身がどうなるかわかりませんけど」
まだ不完全燃焼。タケさんは被災地に勇気を与えるため、チームの若手の成長を促すため、まだまだ走り続ける。