閉じこもり続ける政党と大新聞
こうした反応を恐れているために「愛子天皇」など、めっそうもない、という態度になっているとみられる。
読売新聞は、「女性宮家を認めずに皇族女子に皇室に残ってもらう、とはどのような仕組みになるのか、イメージが定まらない。自民党は具体的な案を示す責任がある」と主張している。
自民党に責任があるのは言うまでもない。と同時に読売新聞は、日本一の発行部数を誇り、「役員クラス」や「世帯年収2000万円以上」にも「世帯での金融資産額5000万円以上」にも、最も高い新聞到達率だと自社サイトで示している以上、自民党と同じぐらいの責任があるのではないか。
ネット上では、もはや「女性宮家の創設に慎重」かどうかよりも、「愛子天皇」をめぐって、さんざん言葉が交わされている。寝た子を起こすな、式の議論にとどまっているのは、政党や大新聞(とテレビ)ぐらいではないか。
「本人の気持ちに思いをはせる」こと
朝日新聞の喜園尚史記者は、2020年に同社のサイト「論座」(現在は閉鎖)に寄せた「『愛子天皇』を語ることへのためらい」と題した文章を、「愛子天皇」の文字は、「本人の気持ちに思いをはせると、口にするのをためらう言葉です」と結んでいる。
もちろん、皇族のお一人おひとりも人間であり、「本人の気持ち」を、ないがしろにしてはならない。それどころか、生身の感情を持っている以上、「気持ち」を最優先にすべきだとさえ言えるかもしれない。
けれども、問われているのは、「安定的な皇位継承の確保」であり、仕組みをどうするのか、ではないのか。制度をどうやって続けるのか。もしくは、続けられないのならシステムを変えたり、やめたりするのか。
なるほど「本人の気持ちに思いをはせる」態度は美しい。人間であれば当然であり、かくありたい。記者の文章に血が通うのは大切である。
だからといって、「気持ち」に流されるあまりに、「口にするのをためらう」ばかりで、良くも悪くも「愛子天皇」がネットや週刊誌で使われている現実に目を逸らし続けるのは、あまりに無理ではないか。
そんなタブー視をやめ、「天皇制」そのものをどうするのか。あくまでも制度の問題としてとらえ、冷静かつ忌憚のない議論を進める。それこそが、「本人の気持ちに思いをはせる」ことではないのか。