「今から私が言う数字を書け。3000万円。これがおまえの退職金だ。おまえは退職だ。今すぐ辞めなくてもよいが、辞めなければ窓際に追い出す――」

ある大手メーカーの開発部門で部下のいない課長職待遇だった青木裕司さん(仮名、57歳)は、3年前に上司から解雇を通告されたときの言葉を今でもよく覚えている。

「腹が立ちましたが、抵抗してもムダなことははじめからわかっていたので、すぐに承諾するほかありませんでした」

この会社では当時、事業再編に伴いリストラの嵐が吹き荒れた。退職勧奨されたのは中間管理職の一番下、つまり課長待遇でありながら部下を持っておらず、かつ営業以外の部門に属する社員が中心だった。要するに給料が比較的高く、組合員ではなく、売り上げに直結しない社員が切られていったのである。

青木さんは地方の国立大学を卒業後同社に入社し、約30年のキャリアの半分を営業、残りの半分を製品開発に従事してきた。「常に勉強」をモットーとし、自分が開発に携わった製品が世の中で役に立つことに働く喜びがあったという。ただ、出世には入社当時から冷めていた。

「地方大学出身者が役員に上がろうと考えるほうが間違っているんじゃないですか。学閥の壁が絶対にありますから。大学の先輩は後輩をひいき目に見てくれる。その関係性を打ち破ろうと思っても無理なんです」

この会社で役員になる者の多くは東大卒や京大卒の学歴の持ち主だった。また、青木さんには昇進で苦労を背負い込むのはどうか、という考えもあった。

「昇進しても下からは突き上げられ、上からは叩かれます。そこそこの収入があれば、そんなに無理をすることはない。これは私の人生哲学の1つです」

メーカーを退職した後、青木さんは同じ業界で急成長中のベンチャーに再就職したが、あまり社風と合わない様子である。

「トップは発想力も行動力も素晴らしい方ですが、さまざまな面で要求水準が非常に高く、私はついていけないと思っています。実は持病を抱えている身でもあるので、倒れるほど自分を追い込む気にはなれません」

青木さんは数年後に控えた定年後は仕事を離れ、親の介護のため実家に戻るつもりでいる。