「俺がやるころは、今の医者は死んでると思うんで」

朝倉悠太さん(原町高校1年生)。

朝倉悠太(あさくら・ゆうた)さんは、原町高校1年3組。ご両親は教職。お父さんは朝倉さんが通う原町高校、お母さんは原町の小学校に勤めている。さて、朝倉さんは将来、何屋になりたいですか。

「医者になりたいです。血とか、あまり見れないんで、内科医です。将来は開業医になるつもりなんで。もうひとつ、将来、ライヴハウス建てるっていう夢があって。俺がバンドやってて、音楽好きだからっていうこともあるんですけど。音楽、大人になってもずっと続けたいと思ってるし。そういう娯楽の場が増えるだけでも、若者たちが出て行くのも少しは減るとは思うんで。クリニックを建てて、隣にライヴハウス。5時ぐらいまで医者をやって、夜はライヴハウスみたいな感じで」

南相馬にライヴハウスがない、と誤読されるといけないので書き添えておく。原ノ町駅の近くに「バックビート」というライヴハウスがあり、朝倉さんのバンドもここでライヴをやっている。朝倉さん、商圏被りませんか? 今の「バックビート」に何か足りないものを感じている?

「そうですね。被りますが、あそこは原町なんで自分は相馬か鹿島に置こうかなと思ってます。バックビートに足りないものは今の俺には見つかりませんね。自分が作るライブハウスの『売り』はなんでしょう……まだわかりませんね」

鹿島とは南相馬市の北部、旧鹿島町のことだ。

娯楽の場というのであれば、ライヴハウスじゃなくてパチンコ屋でもいいんじゃないですか?

「なんか、パチンコ屋ってトラブル多そうなんで」

ライブハウスでも、客が暴れるトラブルとかあったりしない?

「怪我人出ても、俺、内科だから受け付けない(笑)」

医者も最近は余っていると聞きます。南相馬市には、まだ余地はあるんですか?

「俺がやるころは、今の医者は死んでると思うんで。子どもは少ないかもしれないですけど、病気は減らないんで。高齢社会で年輩の方たちも診ることになるし。小児科じゃないんで、内科だからお金が結構集まるかなと。ライヴハウス建てるには、普通の人だと借金とかしなくちゃいけないんで」

お金稼ぐだけだったら、ソフトバンクの社長になるとか、いろいろ方法はあるじゃないですか。なぜに内科医?

「今、福島県に医者が少ないんで。震災で人が遠くへ移動しちゃったからっていうのはありますけど」

南相馬市の被災前の人口は7万1561人。だが、11月末時点の市内居住者数は4万5603人、市外に1万8252人が避難している(南相馬市ウエブサイト参照)。人口の28.5%が去った。国全体に置き換えれば、東京・千葉・神奈川・埼玉・茨城の全住民が日本を去った規模だ。

■避難の状況と市内居住の状況/南相馬市
http://www.city.minamisoma.lg.jp/shinsai2/sinaijokyo/hinan-jokyo.jsp

「目指してるのは東北大の医学部なんですけど。学力は、今のままでは、絶対駄目っていう感じです。駄目だったら、福島県立医科大学狙おうかと思って」

原町高校のウエブサイトで2012年度の進路実績を見ると、国立は東北、宮城教育、秋田、山形、福島、茨城、横浜国立。公立は宮城、茨城県立医療の名が並ぶ。国公立大学合格者は、卒業生142名のうち19名。但し、2011年度の国公立合格者数は45名、卒業者数は231名もいた。卒業生が38%も減っていることになる。南相馬市全体の人口減ペースを上回る率で、高校生たちがこの町からいなくなっている。

いま原町高校は1学年あたり5クラス。1クラスの人数を聞くと「30人いない。25人から28人ぐらい」。高校生活が丸ごと「震災後」となった2年生たちに聞くと「以前は40人で6クラス」だったという。

娯楽の場が増えれば、若者たちが出て行くことも少しは減ると思う——そう語る朝倉さんは、震災後、福島市で行われた音楽イベントで坂本龍一に会う機会があった。

(次回に続く)

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