孫正義がやってきた

2012年2月、南相馬市の原町高校にて。

「11月22日 テニスコート 0.23」「南校舎3階 2年1組 ベランダ 0.10」——福島第一原子力発電所から直線で約30キロメートル、福島県立原町高等学校のウエブサイト内にある空間放射線量測定結果のページにある数値だ(単位は測定高1メートルでの1時間あたりのマイクロシーベルト)。比較のために、同時期の文部科学省の「放射線モニタリング情報」サイトで新宿区(東京都健康安全研究センター)の数値を見ると「0.054」とある。

■東日本大震災関連情報 放射線モニタリング測定結果等 | 文部科学省
http://radioactivity.mext.go.jp/map/ja/area.html

原町高校は1939(昭和14)年に相馬商業学校として開校。1948(昭和23)年に原町高等女学校と合併し、現在の校名となった。箱根駅伝「初代・山の神」今井正人(順天堂大→トヨタ自動車九州)の母校であり、この地域を代表する進学校でもある。この高校に孫正義が来た。

「テレビで見るようなシーンでした! SPやテレビ局の方がたくさんいてピリピリしていました(笑)。その時、初めてと言っていいほど、孫さんとルース大使がこんなにも大変な人なんだと知りました!」(原町高校2年・佐藤麻優さん)

2012年2月29日、孫正義はルース合州国駐日大使とともに原町高校を訪れ、2月3日に募集を始めていた「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」を自らアピールした。ここでも孫は自身が高校時代に合州国に留学した話をし、「ぜひ多感で純粋なときに勇気を持ってアメリカで多くの体験をしてほしい」と呼び掛けている。

「アメリカのあの大きさ、広さがすばらしい、と何回も言っていたので印象に残ってます。話を聞いているときはめーっちゃ静かでした(笑)。終わってから握手会みたいになったときは盛り上がりましたね」(原町高校2年・立花沙耶香さん)

ただ、孫正義本人が来てアピールしても、原町高校からの「TOMODACHI〜」への応募は直後にすぐ、というわけではなかったようだ。

「(「TOMODACHI〜」に応募して合州国に)行こうと思ったんですけど、(応募書類を)書くのに時間がいっぱい取られちゃって。結局、もうギリギリまで」(原町高校2年・渡邊冴さん)

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福島県南相馬市の位置。

福島県人が総じてのんびりしているわけではない。福島県は広い。北海道、岩手に続き日本で三番目に広い面積(1万3782平方キロメートル)を持つ。東京・神奈川・千葉・埼玉の全面積を足しても福島には追いつかない。福島県は大きく3つの地域に分けられ、気質も異なる。太平洋に面した「浜通り」。東北道と新幹線が走る「中通り」。山間部の「会津」。浜通りは南を磐城、北を相双(そうそう)と、さらに南北に分けられる(廃藩置県直後は別々の県だった)。相双もさらに南北で相馬と双葉郡に分けられる(福島第一原子力発電所は、双葉郡の大熊町・双葉町にまたがって建っていた)。この相双地区の中心が、原町高校がある南相馬市だ。

「ギリギリ」ではあったが、原町高校からは複数人が「TOMODACHI〜」に参加した。そのうち5人に会う機会を得た。高校生たちに相双の気質を聞いてみる。相双の人は引っ込み思案なのかな? 福島県で一番声がうるさいところってどこ?

「会津」

ああ、やっぱり。同じ浜通りでも、いわきと相双とだと、どっちがうるさいの?

「いわきの人は結構、グイグイ来る感じがある。相双は静か」「相双の中だけだとうるさいけど、ほかから来ると壁をつくっちゃうっていうか……」「積極性がない。『(自分がやらなくても)誰かやるでしょう』っていうのがあるかもしれない」「相双は寛容なのかな、そうでもないのかな」「でも、集まったら強いです」

南相馬市は2006(平成18)年に鹿島町・原町市・小高町が合併して発足した。江戸時代の宿場町だった原町に、1898(明治31)年、日本鉄道磐城線(現在のJR常磐線)原ノ町駅が開業し、機関庫(鉄道車両基地)が設置されたことが発展の契機となった。金融機関、病院、学校が次々に置かれた。戦後は工場の進出も続いた。この町に、ライヴハウスを建てたいと考えている高校生がいる。