4割はコアな客層向け、6割は一般向け

突き当たりにカフェコーナーがある。木の階段を上がると、誰かの家の小部屋のような空間が現れる。ここでは新刊本の発売に合わせた企画展や写真展を行う。

訪れた人は静けさを壊さないようそっとガラスの扉を閉める。入り口から店主の姿は見えない。あるいは辻山は「いらっしゃいませ」と言っているのかもしれないが、その声はほとんど聞きとることができない。愛想のない店主に放っておかれ、1万冊の背表紙が描き出す地図を眺めていると、本を通した自分との対話が始まっていく。そのうちに、隣り合って並べられた本の背表紙たちが頭の中でがやがやと話し出す。

Titleにある本は全て辻山が選んでいるが、そのうち4割は店のコアな客層に向けた本、残りの6割は、店の近所に住む人たちが読むような、一般に向けた本だ。出版社から届く新刊案内と、大手出版社は中小書店に新刊リストを送らないため、取次会社からの情報で確認する。見計らい配本は利用せず、専門書や学術書、地方出版物といった大型書店でないと見つけられない本にも出会える意外性のある棚を意図している。

忘れていた記憶や蓋をしていた感情が刺激されるのだろう、辻山の編集した棚は眺める人の内面を揺らし、気づけば15坪の広く深い世界に心を開いている。

本は日用品や食料品のような消費財ではない

「何万部売れた、といったことはうちには関係がありません。それよりも、誰がどのような思いでこの本を書いたのか、誰がどのような意図でこの本を編んだのかを大切にしています」

そんなことを話してくれたのは、2度目に訪ねた翌2021(令和3)年の春だった。

開店前、店の奥のカフェコーナーで私は辻山と向き合った。カウンター席が3席、1人がけのテーブル席が2つ、ここは妻の綾子が取り仕切る。ふわふわのフレンチトーストが定番メニューだ。

「そもそも本は日用品や食料品のような消費財ではないと思います。役に立ちそうだから、流行っているからと買って、なんとなく読んで、『はい、次』というような本は、その本でなくてもいいということ。消費されて終わりというのはつまらない。

うちの店にもこの場所を消費しにくる人はいます。例えば、雑誌で見て流行っているらしいから来ました、とか、ああ、こういうところかって店の写真を撮って、はい、次、みたいな。それは、その店から何かを受け取るということじゃなくて、流行りのものを消費するということですよね。うちは店内を撮影禁止にはしていませんが、やっぱりまあ、寂しく感じます」