【御厨】昔はもっと面白かった政治劇がたくさん展開されていた。戦前の議会政治ですら言葉に実体がありました。雄弁家として知られた政治家・永井柳太郎(憲政会・立憲民政党所属)、軍部の政治干渉を痛烈に批判した浜田国松(立憲政友会)の「腹切り問答」が好例です。議会は、ギリギリまで言葉で迫っていく場だったんです。

しかし今はものすごくつまらなくなった。国会で議論されることが本当にくだらないでしょう。岸田さんもそうだけど、「検討します」と言うだけで全然回答にならない答弁を繰り返す。だからね、国会がね、取り戻さないといけない。言葉によって、政治の信頼性を取り戻さないといけないと思いますね。

対談する2人
撮影=遠藤素子
いまの政治に欠けているものは何か、意見を交わす御厨教授と原教授

朝鮮特需を予想した吉田茂

【原】かつての政治家と比べると大きな違いですね。御厨さんの話を聞いて思い出すのが、朝鮮戦争が勃発した1950年6月25日の吉田茂首相の対応です。当時、吉田は東京を離れ、箱根・木賀温泉の塩原又策別邸に滞在していました。いまの政治家なら危機管理の名目で東京にすぐ戻りますが、吉田は記者たちに「まだ正確な情報を得ていないので何もいえない」と答えただけで、この日は別邸から動かず、悠然としていました。

この時、昭和天皇は、これはヤバイと危機感を募らせるわけです。「九州に若干の兵をおくとか、呉に海軍根拠地を設けるとか、とにかく日本の治安に注意してもらわねば困る」と宮内庁長官の田島道治に語るわけです。そんな昭和天皇に拝謁した吉田は、「日本にとってはむしろよい影響があります」と答えています。「企業面がよくなり失業者の減少になる」と勃発直後に言っているんですね。朝鮮特需を見越していた吉田の「先を読む力」はすごいなと感じます。

【御厨】すごいよね。

【原】実はこれには後日談があります。翌年になっても朝鮮戦争が続いて、昭和天皇は田島長官に「朝鮮の状況上はなはだ心苦しく、私が葉山ですきな事をするのは……」と尋ねるんです。それに対して田島は「マッカーサーは休みをとりませぬが首相は終始休みをとります」と答え、天皇も休みをとるべきだと答えているんです(笑)。

戦後政治で無視できないのは、昭和天皇の存在感です。戦後に憲法が改正され、象徴になってもなお歴代の首相や閣僚から内奏を受ける存在だった。天皇が夏に滞在したのは栃木県の那須御用邸です。昭和天皇が那須にいて、吉田茂が箱根にいて、いわば関東平野をはさんで山の上で対峙たいじしている関係ですね。

原武史教授
撮影=遠藤素子
吉田茂には「先を読む力」があった