年を重ねても毎日を活き活きと過ごす人は何をしているか。元結不動密蔵院の名取芳彦住職は「年を取り30代くらいになると、刺激の少ない、変化のない日々が始まり、一日をだらだらと過ごしがちになる。しかし、感性のアンテナを張り、食事の食材の来し方を想像する、街路樹の葉を手で触るなどすれば、些細な日常にある楽しい出来事に気づけて刺激に満ちた毎日を過ごせる。とりあえず、その日の夜に、その日にあった楽しかったことを走り書きしたり、人に話したりすることを2週間つづけると、思い返すのではなく出合った瞬間に『おっ!』と思えるようになる」という――。
※本稿は、名取芳彦『達観するヒント もっと「気楽にかまえる」92のコツ』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
「若々しくいる」のはとても大事
人は年相応に生きたいものですが、老いを感じたからといって、年寄り染みた言動をするには及びません。
若い僧侶に法話のデモンストレーションをしてもらうと、20代、30代なのに70歳過ぎの老僧のような低く落ち着いたトーンで話す人がいます。
ある僧侶は、物事がわかっているようなしゃべり方をしたほうがいいと思っているようでした。私は「そんなこと、誰も決めてないよ。あなたはその若さがいいんだ。その若さを発揮しないで、老僧の真似をするなんてもったいないよ」とアドバイスしました。
年を取ると総じて声が低くなります。多くの人は声帯が衰えたのが原因だと思っていますが、違います。感動する心がなくなっているのです。その証拠に、お年寄りでもきれいな虹を見れば、高い声で「わっ、きれいな虹だ」と言います。
ビックリするようなことに遭遇すると「へぇ、こんなことが起こるのか!」と張りのある声が出るのです。この条件反射を逆手に取って、高い声で話すと心に張りが戻ります。
老いを感じたら、体も心も若さと元気を保ちたいと、少し意識したいものですね。