「お兄ちゃんは頭がいいんですけど、この子はバカなんですよ」。元社長令嬢の母親に小さい頃からDVを受けてきた女性。ストレスのため自分で自分の腕の内側を噛み歯型がついていた。精神的苦痛はその後も続いた。加えて、短大卒業後に結婚した相手は育児を放棄し、朝帰りを続けた。堪忍袋の緒が切れた女性は離婚を切り出した――。
女性を指さし、激高する男性と泣いている女性
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ある家庭では、ひきこもりの子どもを「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーができるのか。具体的事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破る術を模索したい。

今回は、長年自分をコントロールし続ける毒母に苦しめられてきた、50代の女性の家庭のタブーを取り上げる。彼女の「家庭のタブー」はなぜ生じたのか。彼女は「家庭のタブー」から逃れられたのだろうか。

従業員と社長令嬢の駆け落ち

中国地方在住の山口紗理さん(仮名・50代・既婚)は、父親が29歳、母親が24歳の時に、母親の両親が経営していた菓子工場に父親が出稼ぎに来たことで出会った。

母方の祖父は、従業員との交際に大反対。約1年後、思い詰めた2人は大阪へ駆け落ちし、やがて山口さんの兄を妊娠。臨月を迎える頃には母方の祖父と和解し、2人は母方の実家へ戻り、結婚した。

結婚後、父親は母親とともに建設会社と化粧品の代理店を始め、2年後に山口さんが誕生。

幼少時の両親の記憶はあまりいいものではなかった。

「両親は、駆け落ちした割には仲が良いとは思いませんでした。父は昔ながらの日本男性的な男尊女卑の考え方があって、家の中では母が言うことを聞いていたという記憶が残っています」

自営業をしていた両親は、役割分担をしていたのか、家事は主に母親、育児は主に父親がしていた。山口さんが幼稚園に入園すると、行事のほとんどは父親だけ参加していた。

「幼い頃の写真はほとんど父と写っています。そのせいか、小学校の入学式に母が着物を着て来てくれたことが嬉しくてたまらなくて、よく覚えています」