褒めているのになぜ「おばさん」呼ばわり?
麻生太郎自民党副総裁の上川陽子外相に対する差別発言は大きな物議を醸したが、改めてこの発言は何が問題だったのかを考えてみたい。この問題には2つの側面がある。麻生氏の政治家としての資質の問題と、差別を受けた時の女性側の対応についてだ。特に今回は差別発言の対象となったのが、次期首相候補として名前が挙がる大臣だったというだけに、その対応が注視された。
問題の発言は1月28日、麻生氏の地元、福岡の講演会で飛び出した。麻生氏は、「このカミムラヨウコは大したもんだぜ」と発言し、「少なくともそんなに美しい方とは言わんけども」「オレたちから見てても、ほ〜このおばさんやるねえと思った」と続けた。
その後、「堂々と話をして、英語できちんと話をし、外交官の手を借りずに自分でどんどん会うべき人に予約を取っちゃう」と話していることから、全体を見れば、上川氏の実力を評価しているのはわかる。だが、なぜ評価する時に容姿や年齢に言及する必要があるのか。
ルッキズムの象徴「ミス○○」は時代遅れに
今回の麻生発言は、多くの人から「ルッキズム」ではないかと指摘された。ルッキズムとは外見至上主義とも訳され、外見で人を判断したり、容姿を理由に差別したりすることを指すが、女性のほうがより晒されやすい。麻生氏は男性大臣や議員を評価する時に外見に言及するだろうか。
ルッキズムの問題点は外見への評価が入り込むことで、その人の持つ能力や業績が正当に評価されず、就職や昇進、社会的な立場で不利益を被ることだ。深刻な差別の要因にもなりかねないのに、外見と差別に問題がクローズアップされ始めたのは、日本では残念ながらこの数年だ。だがその影響で、当たり前のように大学や自治体で開かれてきた「ミス○○コンテスト」を見直す動きも広まっている。
麻生氏は当然こうしたルッキズムの概念も社会の変化も知らず、そもそも差別したという意識すらないのだろう。