購入者は富裕層ではなく一般庶民

こうした投機型分譲地の購入者は、必ずしも富裕層というわけではない。取材の過程で、僕は70~80年代に開発された旧分譲地の登記事項証明書を取得し、内容を精査する機会がしばしばある。

千葉県の分譲地の場合、その所有者名義の多くは東京・神奈川・埼玉といった首都圏の個人だが、その購入者の住所が、明らかに賃貸物件としか思えないような建物名であったり、時には社宅や公営住宅であったりする。一軒家らしきものにしても多くは、特に何の変哲もない住宅街と思われる住所が大半だ。

もちろんその情報のみで各購入者個人の資産状況を推し量ることはできないが、一般的に連想される「地主」や「富裕層」のイメージではないし、ましてや賃貸暮らしともなれば、今日の感覚ではどう考えても購入の順序が逆である。

時代は下り、さらに地価が暴騰した80年代後半のバブル期になると、購入と同時に抵当権が設定され、数百万円ものローンを組んで購入していた形跡のある土地もしばしば見られるが、現実には暮らすつもりも、利用するつもりもなかった土地に多額の費用を投じるという状況は、まさにその土地が「宅地」ではなく、株などの有価証券と同じく、「投資」「投機」の対象でしかなかったことを示すものだ。

10分の1以下に大暴落、そして放棄分譲地になった

1976年に分譲が行われた千葉県下総町(現・成田市)のある住宅分譲地は、100区画にも及ぶ宅地の分譲販売が行われたにもかかわらず、その3年後の1979年に撮影された、同分譲地付近の上空写真を見ても、家屋はわずかに数戸しか見られない。ほぼすべての区画が投機目的で取得されたのだ。

つまり、開発用地の取得費用やそれにかかる経費を比較的安価にできる分、販売価格も一般のベッドタウンと比較して安めに設定できたへき地の分譲地と、財産形成の手段として不動産を購入したいが、用意できる予算が限られていた末端の個人投資家層の需給がここで合致した、ということになる。

吉川祐介『限界分譲地 繰り返される野放図な商法と開発秘話』(朝日新書)
吉川祐介『限界分譲地 繰り返される野放図な商法と開発秘話』(朝日新書)

一般の住宅取得者であれば、予算ももちろん大事だが、現実的に勤務先へ通勤可能か否か、家族や子供の住環境としてふさわしいかどうかも重要な判断基準になるはずだが、投資物件としての購入は、どうしてもそのあたりの実用性についての判断が甘くなりがちだ。ましてや、悠長に購入を考えているうちに完売してしまうほどの活況であった当時であればなおさらだろう。

結果としてそういった投機型分譲地のほとんどは、今日、当時と現在の貨幣価値の違いを度外視してもなお10分の1以下にまで実勢相場が下がってしまっているのが現実だが、果たしてこの土地ブームの時代、どれほどの人が今日の結末を予測できていたであろうか。

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