千葉県北東部には、1970年代から80年代に住宅用として販売された分譲地がたくさんある。そうした分譲地は、発売当時に完売しているが、実際に住宅が建っているケースは稀だ。『限界分譲地』の取材を続けるブロガーの吉川祐介さんは「資産形成を夢見るサラリーマン層に投機目的で販売されたもので、実際に人が住むことはなかった。何十年も空き地のまま放置され、現地では問題になっている」という――。

※本稿は、吉川祐介『限界分譲地 繰り返される野放図な商法と開発秘話』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

村の鳥観図
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大半は「投機用」として分譲された

僕が高度成長期以降の千葉県北東部に開発された限界分譲地の資料を探す際、もっとも多用しているのが、図書館に所蔵されている新聞の縮刷版である。曜日や時期によって若干の差はあるが、1970年頃以降の新聞紙面には多くの不動産広告が掲載されている。

その多くは都心周辺の分譲マンションや、大手デベロッパーや私鉄系の不動産会社などが開発した、今日でも都心部通勤者のベッドタウンとして機能している駅徒歩圏の比較的立地の良い大型分譲地のものである。

それらの広告の中に、名目上は住宅地・別荘地ではあるものの、そのアピール内容から、実際には居住用ではなく、投機用として売り出されたであろう分譲地の広告が散見される。その所在地を改めて調べてみて現況を確認しない限り、一見すると他の一般の住宅分譲地の広告と変わらないように見えるものも少なくない。